生のままの音 | のんびり

のんびり

いろいろあるけれど、平穏無事に暮らしたい

曇り空

気温は高いようだ気象庁のデータでは11時で26℃表示となっている

 

相変わらず暑さを感じにくい身体だ

屋内の日陰で24.1℃×50%(加湿器稼働)という環境であるが、上に「長袖シャツ+長袖薄いスウェット」、下は「スウェットパンツ(冬と同じ)に靴下」で丁度良い

そして足は冷えを感じている

 

イチジク

 

体調を崩して読めていなかった坂本龍一著「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を読み終えた

人生の回想であるが、一貫しているのは自分の人生の肯定である

P.23で自分で記している

”…ぼくとは非常に縁遠いミュージシャンですから、自分がこれほど心を動かされるだなんて思っても見ませんでした。

 ここで歌われているのは、自分の人生の肯定である、同時に、もはや取り返しのつかないこともあるという諦めの境地です。時間の一方向性の先にある、苦い未来。きっと誰でも、どんな職業についているひとでも、時にはそうしたことを考えるでしょう。そしてこの年齢になったぼくにも突き刺さり、泣けて泣けてしょうがなかなった。”

 

人は生まれて死ぬまで変化し続ける、自分では特別意識しなくても変化している

自分も変化するが、それ以外のもの自然、世の中も常に変化し続けている

ある時にはまったく関心が持てない、自分の感性の外にあるものが自分や自分の状況が変化することで評価が変わる

一番わかり易いのは老いることで確実に感性の対象が変わるということだと思う

 

P.34

"ぼくは40歳を過ぎる頃までは健康のことなんて一切考えず、野獣のような生活をしてきました。その後、視力が落ちて自分の身体と向き合わざるを得なくなり、野口整体やマクロビティックのお世話にもなりましたが、西洋医療の薬を日常的に飲むようになったのは、60代で最初のガンが発覚してからです。きっと、ガンになったのも何か理由があるのだろうし、結果的にそれで亡くなってしまっても、それはそれで本来の人生だったんだ、と達観している部分もある。”
 

坂本龍一の場合は自分が”老いている”ことを認めざるを得なくなってから何かが変わった、と

「男はつらいよ」や「ガブリエル・フォーレ」が心に染みる心理になった

 

 

人生経験や自分の状況により変化する感覚もあれば、変わらない感性もある。それがその人のコアなのだろうか

P.176

”李先生(李禹煥)の作品に出会ったのは18歳の頃だったから、ひょっとすると当時から「もの」としての音楽の道へ、一直線に進むこともできたかもしれません。しかし、その道を歩まなかったのは、若い頃のぼくがお金と女性に目が眩んでしまったから。具体的なことについては想像にお任せしますが、今となってみれば、その人生を後悔してはいない。きっと還暦を超えて、大病も経験し、俗世の欲望に振り回されない清貧な状態になったことでようやく、自分が登るべき山が姿を現したのでしょうね。いわば長い螺旋を描くようにして、原点回帰したわけです。”

 

学生の頃に感じたことを遠回りして再度認識する

一直線に効率的に人生に最高の結果を求める今の世の中の価値観からするとおかしいのかも知れないが、人生とはそういうものだと思う

 

 

そして最後には”何も施さない音”を求める

P.265

"ただ徒然なるままにシンセイザーやピアノで奏でてきた音源を一枚にまとめたに過ぎず、それ以上のものではないんです。でも、今の自分には、こうした何も施さない、生のままの音楽が心地よい。"

 

締めの文章である

高橋幸宏から奇才と称された坂本龍一

非凡であったことは間違いない

 

 

その他気になったところを何点か抜粋

P.270

”ぼくは古書がないと生きていけない/そしてガードレールが好きだ”
坂本龍一メモより

 

父親が編集者であったことが影響しているのか、相当な読書家だ

 

 

P.171

"春になると田舎の田んぼでは何百匹ものカエルが一斉に鳴きますが、本当はそれぞれ個体ごとに音程もリズムもバラバラなはずです。雨の音だって、人間側はついそこに一定の規則性を見出してしまうけれど、実際には風や雨量に左右されながらランダムに降る、「非同期」なものに違いない。"
 

YMO時代に作曲家諸井誠氏から受けた”「ずいぶんときっちり合う音楽を始めたよね。でも、そのうちズレることを目指したくなるんじゃないかな」”と非同期への示唆を老齢になってから意識する

”ズレに向かうタイミング” 

”すべてが同期されていく時代の流れにあえて背を向けて「非同期」を”

 

結果として養老孟司氏と同じような境地に達しているように感じた

「カエル、カエルの声」と一括りの言葉で表現されてイメージできるが、実際は個体ごとに違う

 

 

P.61 ダメダメ学生時代

”それにしても昔のことを思い出すと本当に懐かしい。大貫さんと知り合った70年代の頃は、みんなまだ売れてないし、とにかく時間がありました。麻雀をやろうと思ってもふたりだけじゃできないので、仲のよかった山下達郎くんに電話で「来ない?」と誘うと、彼は練馬にあった実家のパン屋から、店の軽トラを運転してすぐにやってくる。もうひとり、近所にすんでいたギタリストの伊藤銀次くんも呼んで、4人でひたすら雀卓を囲んでいました。三徹だってザラでした。
誰ひとり、ろくに仕事もしていないのに、どうやって食っていたんだろう。でも、ぼくはまだ藝大に籍があったから、…(以下省略)”

 

若い頃は貧乏でもなんとなく楽しく生きている、そんなことが普通なんだよね

 
 

生きるとは変化することなんだな

思考も肉体も感性も変わる

そして最後はシンプルになるのかな