雪が降っている
今日はやや体調がおかしい、日本海側の低気圧の影響かな
閉じたままの蕾
今週の株式指標
そろそろ目処か?再び加速か?
分からんな
さて、日課のストレッチをしながらラジヲJーWAVEを流していたら「小沢健二&スチャダラ」が登場して驚いた
何やら「今夜はブギーパック」発売から30周年らしい
ついでに再びタッグを組んで楽曲を制作したという告知を兼ねたいたようだ
懐かしさが込み上げる感覚があった
私たちの世代では懐かしさを覚える人が多いかも知れないが、アーティスト側は今でも変わらず音楽を創造しているのである
先日は漫画家鳥山明が亡くなった。その前はマエストロ小澤征爾、YMOの坂本龍一、高橋幸宏、作家大江健三郎
みんな死ぬまで創作に夢中だった
まさに嵌まったのだ
生涯を通じて何かに嵌まれるということは幸せなことである
そこに少しのお金のゆとりと精神的ゆとりがあればなお良い
仮にそれがなくても本人が幸せならそれで良いのかも知れない
現在はデジタルの時代である、ある程度のものは劣化しないで触れることができる
絵画・彫刻などの現物鑑賞であったり、コンサート・ライブの生演奏などはその場にいることで感じる特別な感覚がある
金曜日に宮藤官九郎脚本の「不適切にもほどがある」というドラマがやっている
先週の第6話を何気に観ていたら、何か面白さを感じた
初回からしっかり観ておけばよかったかな?と少し後悔
”川浜一のワル”の松村雄基本人が出ていたり
「顔はやばいよ、ボディやんな」というセリフがでてきたり
「顔はやばいよ、ボディやんな」の三原じゅん子が政治家になっているという新鮮な驚きを与えてくれたり
あの時代や再放送を観れた世代の人ならば知っていて当たり前の懐かしさ
それをリアルタイムで経験している人(の役)と周囲のギャップ
色々とぶっ込んでくる遊びと共にしっかりと現代社会のおかしさもユーモア的に指摘してくる
昨日の第7話の脚本家エモケンの手書き脚本は今でもあるような気がする
それまで培ってきたアイデアの出し方、或いは手を動かすことにより頭が動くという経路もあるのだろう
無数の手書き脚本をPCにまとめたら5枚、でもその無数のアイデアがあったからそのたった5枚の脚本に至った
現代社会の神『効率』という物差しでは測れないものが確かにあるのだ、という感じを私は受けた
『効率』では決して評価できないものといえば芸術である、それは創造である
それは無機質ではなくて何か心に訴える、或いは琴線に触れるものだと思う
単なるエンターテインメント、面白いか面白くないか?というだけかも知れない
しかし、何かが引っかかれば今の時代は検索して触れることが可能である
小沢健二とスチャダラの「今夜はブギーパック」も”川浜一のワル”の松村雄基が出ている「スクールウォーズ」も「顔はやばいよ、ボディやんな」の金八も何かしらで鑑賞する機会がある
「SSLP、新橋SLパーク」の元ネタ「IWGP、池袋ゲートパーク」、その先の原作者・石田衣良。
映像から原作、そこから他の小説と広がる可能性を秘めている
今ではあまりにも知ることが表面的になりすぎてしまっている感じがある
言葉で知って、内容を把握していない。なんてこともザラにあるだろう
何かに嵌まれるということは現代社会の神『効率・生産性』から解き放たれている状態なのかも知れない
ただ、相場に嵌ってしまうと「お金」という基準からは逃れられなくなる。そこは気を付けたほうが良いやね
相場に過剰に『効率』なんて求めると逆にお金に嫌われたりすることもあろうだろう
相場も『効率』ではない、もっと大切なものがあると思う
なんか思い浮かぶままに書いたら、破茶滅茶になってしまった
年を重ねると嵌るということがなくなる
精神的なゆとりがなくなったり、金銭的な問題、多忙でそれどころではなくなる、なんてことが一般的だ。現実には逆らえない
それでも嵌り続ける人もいる、一重に情熱だろう
周囲や社会に上手く溶け込める人ほど嵌まらなくなる(嵌れなくなる)、それが求められているから
求められていることをこなす、ことが常態化する
集約すると「効率」「イノベーション」「利益」である
宮藤官九郎というと私の中では「タイガー&ドラゴン」と「マンハッタン・ラブストーリー」なんだよね