たごさくの青春記その②~草野球は田圃から① | たごさくの本格ミステリー倶楽部&山野草

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            (横浜・馬車道)

    昔の映画『酒とバラの日々』ではないですが、

       「本と映画とのんの日々」ですニヤリ

 

 

殆どが野球が好きだった高校生の頃だ。

野球以外のスポーツはまだ全部マイナーだった。

 

ぼくの絡んだ中学時代の友人と高校に入学してからの友人で草野球チームを作る。

こんな友人たちと作ったチームの編成はあだ名で書いておこう。

エテ(ファースト:たごさくの幼稚園からのあだ名)

カンジ(サード:あだ名の理由は聞いたことがない)

クマン(セカンド:あだ名は名前からついた)

タコ(レフト:あだ名は見た目)

チンペイ(ピッチャー兼ショート:あだ名の経緯は不明)

デメ(ライト:あだ名は見た目)

マル(キヤッチャー:あだ名は見た目)

トミー(ピッチャー:あだ名は自称)

全員で8名(順番は50音別)。

メンバーの一人足りないのはカンジの弟に出てもらった。

只残念なのは、

クマンとデメは鬼籍に入ったえーん

 

クラブ活動をしているのはブラバンのカンジのみで、

後は全員帰宅部。

なので時間は余るほどあった。

そして、

草野球は稲の刈り入れが済んだ田圃から始まった。

大野地区にあるトミーの家に行くうちに稲刈りが済んだ田圃があった。

その田圃は軟球で野球をするには絶好の場所だった。

 

それはやがて、

ぼくの地元の黒江小学校で毎日練習をするようになっていく。

昭和41年(1966年)のころだ。