一休寺~木津川渡し場跡
大河ドラマ「どうする家康」でも登場する
伊賀越えの道のほんの一部、京都府京田辺市を数回に分けて歩いてきました。
命がけで駆け抜けた家康の足取りを辿り前回からの続きから。
(一休寺)
一休さんで有名な一休寺(地図③)から、
家康一行が向かった木津川の渡し場跡(地図⑧)を目指して歩きます。
(「今回は.・・・」と言っても、9月28日の話し)
正午近くに出発した前回、
それでもマップに記載された所要時間通りなら、今回歩く道も前回から続けて歩けているはずでした。結果、そうならなかったので2日に渡ってしまってます。
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(駅改札近く)
市や京田辺市観光協会さんに思うこと。
(私日記として書き留めていますが、次の破線まで読み飛ばしてください(笑))
作成協力者として京田辺市観光協会が名を連ねる小さな地図を持って歩いていますが、協会の人で実際に歩かれた方はいるのでしょうか? 特に、仕事の立場で歩いてみられれば色々な課題が見えたはずです。
前回の9月24日、スタ-ト地点の尊延寺まで行きたくて駅前の観光協会でバス乗り場を尋ねたら、どのバスなのか分からない様子。仕方なくタクシ-に乗りましたが、運転手さんも尊延寺をご存じない。
地元を盛り上げ、地元で観光客を迎えようという雰囲気が全くありません。何か不思議な感じ。
地図と言えば、机上(4km50分)で電卓を使って算出した所要時間を単に書き込むのは優しくないですね。山道も考慮に入れず、様々な年齢の方も想定していません。いっそうのこと距離だけの表記の方が勘違いも起こりません。ここを訪れる人には所要時間を参考に計画を立てる大事なもの。一体何のための時間表記なのでしょう。
駅や目的地の史跡にはのぼりが立っているけど、肝心の道中には案内板やのぼりなどがほぼなくて道に迷います。
観光客を呼び込んでいながら、しっかり楽しんでもらおうという姿勢が感じられません。中途半端な活動は税金の無駄遣いにもなるし、市民や観光客にとても失礼な気がします。せっかくの観光資源と観光客を大事にして欲しいと思いました。
自然豊かでのとがな市を、もっと丁寧にアピ-ルされれば良いのになと正直思いました。
市民でもないので直接伝えるでもなく、
独り言のようにここでブツブツ(笑)
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それはそれとして、
ロマンは自分で感じるものなので、
この時代の歴史好きには楽しく歩ける道だと思います。
「この道を家康も歩いたんだ!?」
幹線道路から右に折れる道、うん? どうやら1本早く曲がってしまったようです。
言い訳をすれば、それらしい道に誘われたんです
自信があった勘も最近はあてにならなくなってきました・・・⤵
(らしい道でした・・・)
ここから後はスムーズに
そんなこんなで今回の目的地の1つ、観音寺に着きました。
春にはお寺の近くの菜の花畑が素晴らしいようです。
こんな環境で黄緑と黄色が広がるときっときれいでしょうね!?
この季節ものどかでいいです。
(終わりかけの彼岸花)
奈良東大寺二月堂の春の到来を告げるお水取り。クライマックスで使う竹は今もこの辺りから納めているとか。
(正しい? 記憶が少し薄れつつ、、、)
萩が咲き、お寺の本堂と絵になりますね。(先に書きましたが9月末の話ですから)
本堂、目の前で対面できるご本尊は11面観音様。
感じの良い住職さんが丁寧に本堂を案内してくれました。
ちょっと珍しい物に目をひかれました。
その昔、庶民の多くが字も読めなくて絵心経が広まったと・・・
それは般若心経を絵で表した般若絵心経。
摩訶般若波羅蜜多心経、
まかはんにゃはら・・・の、
「まか」は釜を逆さに、
「はんにゃ」はそのまま、
「はら」はお腹の絵です
分からない絵もありますが、今見ると笑えます。
人が悟りの境地を求めるのにはとても良いツ-ルだったのでしょう。
(絵心経、東北地方に広く普及していたということでした)
一行は二手に分かれて、家康はここ朱智神社で宿泊したと言われます。
(神社には立ち寄りませんでした)
一方、武田勝頼を見限って家康にくだった穴山梅雪(ばいせつ)は、家康と別ル-トで先の観音寺辺りで1泊し帰路についたと。結局、梅雪は木津川原の渡し辺りで土民に殺されてしまったとあります。
そのお墓がある飯岡共同墓地。参らせてもらおうと墓地内を探してみると、他のお墓に囲まれて目立つことなくひっそりと・・・。
探すのにけっこう時間かかりました。
(栗畑)
茶畑、多いですね。
特産品の玉露の葉を摘むには、新葉の頃に一定の期間日光を遮って光合成をさせないように育てるようです。日除けで遮光するのだとテレビで見た記憶があります。
産地だけあって、あちらこちら沢山の茶畑が広がります。そして玉露の産地なので、どの茶畑も遮光できるよう畑の上を覆えるようにしてあります。
ここ玉露の郷飯岡は、いいおかでなく"いのおか"なんですね。
来た道が木津川に突き当たり、
今度は草内の渡しに向かって川沿いに伸びる自転車道を歩きます。
以前、松花堂弁当で有名な松花堂庭園からレンタサイクルを借りて、必殺仕事人などの時代劇でよく登場した流れ橋(上津屋橋)から三宅八幡宮の麓までの短い距離を走ったことがありました。
平日なので自転車が少ない。
私の茶畑のイメージを覆す、田園のど真ん中に茶畑。元々はきっと粘土質の田んぼだったのでしょう!? 茶の木は水はけが大事そうなので、大規模な土壌改良を施したんでしょうね。
(茶の木に見えますが違う?)
個人のお茶農家さんも多そうです。
さて、この日はここまでで、
最寄りのバス停から近鉄新田辺駅に戻ります。
次は木津川を渡り宇治田原へ・・・