自分の本音って?過去の再定義をしてみる | 不登校のお母さん 藤平紗榮

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子どもの不登校を機に、色々な学びに出会い、気付いたことを投稿します。
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不登校のお母さん
辛くて動けない時もあるよね

こんにちは。不登校のお母さん、たえぞうです。

 

前回は、転職をしたことについてのお話しをしました。

 

今日は、過去の定義をしてみることについてです。

 

自分のことを認められないとか、親のことを許せないとか

意外と自分のことは自分では見えないし、俯瞰してみるって

良く言うけど、実は見えてそうで見えないのが現実ではない

でしょうか?

 

私は自分が変わりたいと思っても、どう変わったらいいか

わからなかったし、なんで変われないのか?

その時の自分を好きになれなかったんだろうな。。。

何も変われてないし、何もできてないし、何やったらいいのか

分からない自分って好きになれる?なれないよねー。。。

 

何からやったらいいんだろう????と同時進行で色々な

ことを考えていましたが、その中で、小さい頃の自分について

考えてみました。

小さい頃は、祖父母、父母、妹の6人家族で、割と、自由に

ふらふらと好きなことをやっていたなぁと言うイメージだった

のですが、小学生の時はクラスメイトとうまくいかないし、

習い事の、ピアノや習字は、まあ普通のレベルだったし、

家では好き勝手やってそうで祖父も父も一緒にやるという

よりは、『邪魔しないで』って感じだったと思う。。。

やりたくて、近くで見ていて飽きなかったのはあるけど…

 

その時の感情を考えたら、寂しい!という気持ちが出てきました。

その時はそれを感じてなかったと思います。だって、それが普通

の日常だったから。。。

そのまま高学年になって、絵で賞状をもらったことで、絵が好きになり

絵の教室に行ったり、自己流の水泳で代表になり大会に出たりしたこと

で、自信がついて、なんでもやりたい人にはなっていました。。。

 

でも家族に受け止めてもらえてなかったし、クラスメイトとうまく

いかなかったことで、私のことを好きとか、受け止めてくれる人

っているのかな?という想いが常にあったと思います。。。

 

今でも少し残ってるかもしれない…

 

だからって親は、受け止めてないとも思ってないし、私が寂しいと

思ってたとも思ってない。。。今、親に向かってこの時のことを話

しても、『ふーんそうだったんだ、気づかなかった』くらいの反応

でしょう(笑)

 

なので、自分で小さい頃の自分の気持ちを受け止めてあげて、

『あの時は寂しかったんだね、受け止めてもらいたかったよね』

『がんばってたよね、気を引こうとしてやってたのに、気づいて

もらえなかったよね』

『でも自分が分かってあげるよ、大丈夫、私が受け止めてあげる』

 

と再定義するのです。

 

再定義することはそれほど難しいことではないのですが、ここでは

小さい時の自分の感情に気づいてあげることの方が簡単ではない

と思います。

 

ぜひ時間を作って過去の自分の気持ちについて考えてみてくださいね。

 

次は、課題の分離についてです。