おじいちゃんとの将棋 | 福間香奈さんを応援するブログ!

福間香奈さんを応援するブログ!

女流棋士の福間(旧姓里見)香奈さんを応援しています。その他将棋や自分の日常のことなど。

 今日は何故かうちの会社が全員休暇設定日になっていて一日家に居ました。それで明日〆切の野暮用(半分仕事のような・・・)が有って、もうだいぶ前から分かっていたので先週とか先々週の土日にやればよかったのですが、結局ぎりぎりの土壇場でやるものですね。それでも夕方5時までに郵便局に速達便を出さねばならず、今日は11時頃から5時間きっちり集中してやり遂げました。のんびりやると、まぁ一日は掛かるので、気合を入れないと土日のどちらか一日を潰すぞという決心が出来ないもので。。。

 それはさておき、私のブログをふだんご覧になっている方は知っているかと思いますが、母親の調子が悪くて週末はかなり頻繁に実家に帰っています。電車で一時間くらいなので距離的には近い場所です。父親の方はもともと頭も体も元気でしたが、87歳にもなっていますし、今回の母親の看病疲れとここ最近の猛暑で、エアコン付けて家の中にいるもののなんだかすごく疲れがでてしまっているようです。タイトルのおじいちゃんとは、その私の父親のことです。父親と将棋をやることになったきっかけは、5月のブログに書いた通り、叔父さんから3寸脚付きの将棋盤をもらったことです。その時の一回戦は私が結構完勝してしまったのですが、実は2週間くらい前だったか二回戦では父親に惨敗しました。初回が振り駒をやって先手となった私が大差で勝ったので、父親が先手でいいよなと言って、▲7六歩、△3四歩、▲6六歩と進み、角道を止めたので振り飛車やるのかなと思って、流れ的に△8四歩と居飛車にしてしまったのが運の尽き。私は自分で振り飛車にしたい方だし(それしか分からない)、最悪でも対抗形と思ってましたが、父親はそこから普通に居飛車で戦ってきたので相居飛車の矢倉戦のような形になりました。後で分かりましたが、父親は▲7九角と引いて棒銀居飛車で攻めるのが得意というか、それしかしないようです。本来の趣味としては囲碁をずっとやっていて、麻雀含めてゲームはなんでも好きな方ですが、将棋は実質子供の時の記憶を頼りに指しているのだと思われます。実家に囲碁の本は100冊くらいは有ると思いますが、将棋については升田名人や米長棋聖の人生本の類しか有りませんでしたし。それで私もなんかしっくりこないまま局面が進み、▲4六角と出られて飛車が睨まれた形になったところ辺りから、ずるずると一方的に攻め潰されてしまいました。前のブログで十中八九は勝てる気がすると書きましたが、それほどの差は無かったようです。こっちもムキになって戦うつもりはないのですが、かと言って手抜きをした訳でもなく。その日、一緒に母親の病院に行きましたが、嬉しそうに「勝ったぞ」と母親に報告していました。私は先に自分の家に戻りましたが、その後の会話に続きが有ったとすれば内容は容易く想像できます。母「手を抜いてくれたんでしょ」、父「いやいや、そんなことはない」、母「そうですよ」、父「そうかなぁ?」

 先週末の土日(昨日、一昨日)も実家に帰り、土曜はタイミングを逃しましたが日曜日は午後から母親の病院に行くことにしたので午前中は父親と二人でボケっとしていましたが、なんとなく三回戦をやろうということになりました。いつも私からは言い出さないのですが。今回も父親がそれじゃぁ先手でと言って始まりました。今回は前回の反省から、父親が居飛車しか指さないと分かってきたので、こちらは四間飛車とし無事対抗形となり、棒銀で突っ込んでくるのをどうかわすかという戦いになりました。私も手加減せずに結構マジで考えて指し、中盤くらいまでは互角でしたが、私の方がなんだか卑怯臭いというか手堅く守りと駒得重視の持久戦志向で行ったので、だんだん父親が疲れてきて終盤に差し掛かるころには若干私の方が有利かなくらいの局面でしたが、もうこれは負けだと言って早々に投了してしまいました。前の二局でもそうでしたが、どうやればいいのかサッパリ分からないねぇとか、どっちが勝ってるんだろうねぇとか、たぶん本音で言っていたものと思いますが、昨日は互角くらいの局面でも、これはもうだいぶ負けてるよなぁとか始終弱気でした。昭和の頃のいわゆる縁台将棋では、世のおっさん達が三味線引いたり、相手のミスをせせら笑ったり、軽口叩き合いながらも熱くなって楽しむそんなゲームという印象が有って、うちの父親も多分に漏れず、僕が中学生くらいの時分に負かされてた頃はそんな感じだったのですが、昨日はもうすっかりおじいちゃんになってしまったんだなぁという印象だけが強く残りました。