[将棋]図々しく厚かましいのも時には必要 | 福間香奈さんを応援するブログ!

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 詰将棋やってます。青野先生の五手詰め本は10周完了し、今週は加藤先生の五手詰め本が昔のカウントも含めて4周目に入ってます。残念ながら、どうしてもパッと見て解けない問題が多くて頭に来ますが仕方のないこと。それでも、多少は学んだことも有ります。角道に玉を引き込んでとか、逃げ道封鎖とかありますが、多いのは焦点の駒ともう一つは僕が勝手に呼んでいるだけですが厚かましい初手です。焦点の駒(捨て)は、典型的には飛角のどちらでも取られるところに駒を打つ(or指す)話で、飛で取れば角の、角で取れば飛の利きが止まり、これは詰将棋作家の作意によって生じるのだとばかり思っていましたが、確かにそれで詰みに近づくというのは作意であっても、片方の利きが止まるというのは、自分の駒を飛び越えての利きの貫通は出来ないという将棋のルールから必然的に起こる話だということでようやく理解できました(で、合ってるのか?) もう一つの厚かましい初手ですが、ただなんだけど取ると早く詰むとかいう話です。自分の駒の利きを連結して並べ詰めなら一番簡単ですが、それだと金とか銀とか駒が一枚足りないという時に、どこかで図々しくというか厚かましくというか、ただだけど「へへへ取れないだろぉ」みたいな大胆な手を探すと、それが正解手だったりします。この感覚を何と呼べばぴったりくるのかずっと考えていました。図々しいよりももっと踏み込んだ感じで、土足で上がるという感じですが、厚かましいくらいですかね?語彙が少ないと思考・感情が表現できないという・・・。

 社会人としてというか人間として厚かましいのは嫌な感じですが、勝負の世界という盤上では時には厚かましいくらいで良い気がします。もちろん爽やかにcoolに振る舞って正解という局面も有るでしょうが、爽やかに負けるよりは厚かましく前進して勝ちを探していくのを是とするのが勝負師の生き方だと思ってます。ルールを曲げて勝手に自分に都合よく解釈してはいけませんが、利用できるルールが存在するのなら、それはありがたく活用するのが当然とも言えます。誰からも誹謗中傷される筋合いは有りませんし、また、そんな人も居ないでしょう。