[将棋]何故私は観る将なのか? | 福間香奈さんを応援するブログ!

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女流棋士の福間(旧姓里見)香奈さんを応援しています。その他将棋や自分の日常のことなど。

 将棋ファンになって1年半くらいになりますが、今日はいろいろ思うところをとめどなく書いてみます。

 今朝は変わった夢を見ました。おぼろげですが砂利道のようなところをのろのろと車で走っていて、その後、丘の上のような場所から下の辺り一面を見渡したらば、馬車のようなものにテヨンが若い男性とカップルで一緒に乗っていたのを見つけ、すごく嫉妬を感じて「テヨン!」と大きな声で呼び叫んだところあたりで目が覚めました。

 意味はよく分からないのですが、50を過ぎて大概のことにはあまり動じなくなったというか、もともと普段は感情を露わにしないほうだと思うのですが、善悪は別にして?自分にも何かまだパッションが残っているとかそういう暗示なのかなぁと思って。。。

 将棋に限らずかもしれませんが、好きになるのには3つの要素が有ると思っています。勝つのが好き、戦うのが好き、そのものが好き。好き嫌いというと、例えば私の場合は理科系出身で技術者になったわけですが、学生時代、勉強は普通に嫌いでした。漫画読んだりテレビを見たり、ごろごろ寝てるのが好きでしたので。ただ、それなりに勉強が出来なかったわけでもなかったので、テストで良い点を取れたりしたので嫌いにならなかった感じです。また、これは大学を卒業した後かもしれませんが、いわゆる知的好奇心はそれなりに有った気がします。

 将棋で言えば強くなる人はおそらく皆負けず嫌いなのだと思います。それは勝負師なら良いことだと思います。戦うのが好きは、難しいですが、サッカーなどの勝ち点制度で、二引き分けが勝ち点2止まりなのに対して、一勝一敗が勝ち点3になるのは単純ですがよく出来た制度に思います。サッカー自体は引き分け狙いも高度な戦術ではあるかもしれませんが、逆に世の中一般のことに関して言えば、二引き分けを狙うより、一勝一敗の方に価値が有る、失敗が有っても戦ってこそに意味が有る。人生一般的にはそういうことが多い気がします。無難につつがなく、より、山あり谷ありでこそ生きた証を残せるとでも言うか。場合によっては二戦二敗でも、未対戦よりは得たものが有ると言えるのかもしれません。私自身の技術者人生では、終盤戦に入ってきたので総括する時期に近づきつつありますが、不完全燃焼で悔いが残るのか、40代まではそれなりに頑張ってきたと言えるのか、そんなことを考えながら残り十年足らずの会社人生で目指すところを考えたいかなと思っています。入社した30年くらい前に、それこそ今の自分と同じくらいの歳の先輩に、「不思議と辛かったことばかりを覚えていて、うまくいったことは忘れてしまうもんだ」と言われたことが有ります。死ぬときに残るのはお金でも地位でもなく、体験と記憶だけですから、それが財産なんですね。艱難汝を玉にす。

 将棋に戻って、私の場合、子供の頃に少し遊んでいたのでそれで取っ掛かりが良かったのだと思います。それでも対人での対局はほとんどしませんし、最近は将皇とかピヨ将棋相手の練習もしなくなりつつあります。では向上心が無いかと言えばそうでもなく、今は青野九段の5手詰めの本をずっとやり続けて5周目に突入しました。読書百遍義自ずから見るでもないですが、100回解けば身になるかとか思って始めています。今のところやっぱり正解手順を忘れてしまっている問題も多くて、あと何年掛かるやらですが。。。(ちなみにこの「読書百篇」を真面目に研究している人もいるんですね。)

 いろいろな人の将棋ブログを拝見していますが、ネット将棋で熱くなっている人や地道に勉強する本を決めて計画を立てている人がいて、非常に興味を覚えます。どちらかというと女性の方が熱いかな?(橘花さんとかリスさんとか銀橋さんとか。。勝手に名前を出してすいません。あと囲碁ならりくのら師ですね。)そういうブログを読んで、すごいなぁと思いつつ、また将棋ウォーズなどは簡単に始められて面白いと一般的に言われていますが、私はどうしても出来ません。恐いのか恥ずかしいのか、なんだかよく分かりませんが、入り口からダメです。ネット将棋はどうしてもダメなので、将棋クラブのようなところには行ってみようかなとは思っています。前にケムマキ君さんに、そういうところに行くのは楽しいですよと勧められたことがあり、暗黙の約束のように思っていて、近いうちに行こうと思っています。人付き合いが嫌い(と書くと言い過ぎですが)、と言うかすぐ億劫になってしまうのですが、ここの殻は破らないと今後老人に向かって進んでいる人間として、定年後に何もできなくなっちゃいそうなので。。。「テヨン!」と叫ぶ勇気が有ったら行けるよな、きっと。

 将棋そのものは面白いです。観る将がプロ棋士の昼食やおやつにまで興味を持つと言うのに関して言えば、私はそれはどうかなとか思ったりしていましたが、夏だったかみろく庵に行って山かけそばを食べ、ふだんは缶珈琲一辺倒のはずがカフェオレを飲んだりし、挙句にはフリスクNEOを買っちゃったりするなど、真似っこオヤジと化しています。(キモイから誰か止めてあげなさい!)

 プロの将棋の面白いところは、コンピューターソフトもそうかもしれませんが、やっぱり不完全だけど最善を追求して答えが見つからないところでしょうか?それでも、アマチュアから見れば超人選手権のようなことをやっている訳ですし。どんな頭しているんだ(紳哉さんの話では無く・・・)とか、何を考えているんだろうとか、どういう思考回路なのかとか、そんなことも単純ですが興味深いです。また、そういう人達がどのような生活を送っているのか、どういう研究をしているのか、どういう考えで将棋に取り組んでいるのかも知りたいところです。

 囲碁将棋チャンネルをつけると、ランダムに約半分は囲碁の番組となります。囲碁はルールが分かる程度なので見ていてもさっぱり分からないのですが、石田本因坊の解説とかは、ほほ~そうなんですかと(分からないけど)聞いていてこれが楽しいのです。昔、みうらじゅん&山田五郎の親爺同志という番組で能楽について語られていて、能は観ていて眠っちゃうのが正しい鑑賞方法だとのことでした。私にとっての囲碁もそれに近くて、眠るかどうかは別にして、なんとなく眺めて解説も聞こえているだけなんだけど心地よい感じがします。将棋の場合もどちらの対局者も応援していない場合は能に近い序中盤戦に感じたりします。(片方を応援している場合は、水面下の蹴り合いで何が起こっているのか、形勢はどうなってるのかなど心が騒めいて、とても能を見ているような心境にはなりませんが。)また、いざ衝突が起こると、ここからロックンロールだ!みたいに激しく転調するところが良いですね。

 ずいぶんと脈絡なく長くなりましたが、このような感じで観る将をやっている訳です。

 

 明日は三段リーグ戦ですね。里見さんが勝つことを祈っています。