コンピューター将棋を観ていると、華々しい空中戦が繰り広げられ、中段玉とかも頻繁に表れるので、角とか飛車とか桂馬とか長くて見にくい駒の利きを読まないといけないので疲れそう。コンピューターは目が良いから疲れないのかもしれないけど。昨日の電王トーナメントの途中で、やねうらおうさんが、西尾六段の質問に対して、穴熊の学習のさせ方が悪かっただけで、穴熊がダメかどうかは分からない。一週間前にそれに気づいた(>_<)、と言ってました。まだ穴熊が良いか悪いかは結論が出ているわけでも無いようですね。同じく矢倉もしかり。昨日の決勝3番勝負で逆に雁木は出てこなかったようです。ただ、お互いじっくり囲ってから戦いが始まるという将棋はレアな感じで、五分の展開でもどこかで攻めて仕掛けないとダメという雰囲気は有り。そういう意味で、その流れがだんだんプロ棋戦に取り込まれていくと10~20年後は玉を端に寄せてバリバリに囲う矢倉のみならず、美濃囲いも、穴熊も無くなって、囲い崩しとかいう概念自体がなくなっちゃいそうな気もする。
コンピューター将棋のおかげでというか、将棋はほぼ互角から微妙な平衡を保ちながら進み、どちらか悪手を指したほうが勝手に負けに近づくというずいぶん神経質なゲームなのかという感じがしますが、アマチュアレベルではやっぱり、苦しい局面でも(精神力で)頑張って粘って持ちこたえ、妙手を発見して逆転するとか、そういうところに楽しさが有ります(たぶん)。プロ棋戦では中盤くらいまで先手後手両者ともほぼ最善の応酬が続いている間は、一手で局面の形勢が激しく動くことは少ないものの、少しずつ見えないくらいのところで微妙にバランスが崩れ始め、気づいたときはどちらかが優勢となり始めているいう、ほとんど魔術のような世界に感じます。最近のプロの解説を聞いているとだいぶ評価値という概念を気にしてる感じも有りますが、そうでなくても、互角とかやや先手優勢とか、これは形勢が逆転したとか、なんで分かるのか不思議ですが、その感覚の鋭さには驚きます(プロだからということでしょうが)。それでいてよく分からないのは、ひふみんアイだと風景が変わりますねとか、盤解説をしながら指されてみると意外と厳しいですね、とかってのはどういうことなのでしょうか?謎です。
昔、羽生さんが将棋の神様相手で角落ちならいい勝負と思うと言ったとか聞いたことが有ります。プロ棋士でも悪手無しの完璧な棋譜は年に1,2局とか誰か(渡辺竜王だったかな?)言ってた気もするので、その完璧感からの距離をなんか体感して表現したものなのかと思われます。それで、将棋の強さは普通レーティングで評価し、相対的な強さを対戦成績(勝率)から割り出すのでしょうが、これは絶対値尺度が無いので分かりにくいところが有ります。例えば、100m走なら、一発勝負での勝ち負けはタイムに関係なくありますが、歴史的に世界チャンピオンが何秒で走ったとか(今はボルト選手の9.58秒)分かる訳で、日本の桐生選手が9.98秒を叩きだし10秒を切りましたが、0.4秒もの差が有ると、ボルト選手は引退したものの勝負をしてほぼ勝つ確率は0の世界と言えるでしょう。スポーツをやっている高校生や大学生なら13秒台~早い人で11秒台とか(星飛雄馬が巨人のプロテストを受けた際の合格基準が12秒以内だったはず)。陸上を専門でやっている人でようやく10秒台とか、だんだん上に行けば行くほどタイム差の絶対値は小さくなるけど、レベルが上がるほど小さい差の意味は大きいという感じになっていくのかと思われます。コンピューター将棋のレーティングはまだまだ上がっていきそうですが、絶対値としての終着点は最善手しか指さない神様ということで、勝ち負けの観点で言えば勝率:0なのかもしれませんが、絶対値ではそうとう差が詰まってきているんじゃないかなとか思ったりして。測りようがないかもしれませんが。
うまく説明できませんがなんか、こんな感じのイメージが有ります。
↓面積比は、適当で考え方だけの話です。
元の正方形に対し、1/2、1/4、1/8、1/16・・・という具合に無限に足すと1になる。足す回数は無限だけど、大きくなる面積はほんのわずかになっていく。
考え方のイメージだけの話です。コンピューター将棋がどんどん強くなっていけばレーティングの観点ではまだまだ相当伸びそう。ただし、広がる面積はもう限られてきている??
私も無難に平均寿命程度くらいまで行ければ、まだあと30年以上は生きられることになるので、その間にどうなっていくのか、すごく楽しみ(ボケたら、そんなのどうでもよくなっちゃうかもしれないけど)。
話変わって、12月12日に東京で霧島酒造杯女流王将の就位式が有るそうです。お昼にやるそうなので、会社休まなくっちゃね♥〰♥