[将棋]ありふれた私の将棋の個人史(後編) | 福間香奈さんを応援するブログ!

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 私にとって将棋は昔遊んだゲームの一つで、どちらかというとあんまり楽しくない記憶が付きまとうような存在でした。(前編参照)

 昨年3月に仕事の流れで、たまたま、はこだて未来大学の松原教授による人工知能の講演を聴く機会が有り、そこでコンピューター将棋の話を聞きました。当時、ちょうど囲碁の方でイ・セドルさんがα碁に敗れるというホットなニュースが飛び込んできた頃のことです。松原先生の話を聞いて、即座に「そうだ俺には将棋が有る」とはまったく思わず、囲碁も面白そうだと思ってスマホアプリの詰碁を解いてみたり、またゲームという意味ではオセロにはまったりしました。

 その後、何故将棋に魅かれていったかは、よく覚えていないのですが、知らぬ間に徐々に罠に落ちたという感じでしょうか。ただ、きっかけの一つはYoutubeなどで(その頃は二コ生を知らなかった)昔の映像を見だして、その中で例の「豊島?強いよね・・・」を見て衝撃を受け、この人は何をやっちゃってるんですか、と突っ込みつつも面白いので50回くらいは再生したのではと思います。それで、元々長い間、上大岡に住んでいたのですが、毎年夏に京急将棋祭りが有って、一回も行ったことが無かったのですが(今思うとすっごく惜しい事をした)、佐藤さん大集合の企画が有り、それで紳哉さんのサインをもらいに行くことになったのです。

 並行して、自分はプログラミングが事実上出来ないものの、コンピューター将棋がどういう過程で強くなったのかに興味を魅かれました。実は大学4年生の卒論では非線形拡散方程式をプログラムで解くという課題に取り組み(というか意味も分からずでしたが)、N88BASICで300行くらいの短いコードを書いてなんとか卒業させてもらいました。その頃の私は運動音痴にもかかわらずテニスに燃えていて(というか意地でやっていた?)、研究室にもあまり顔を出さずに落ちこぼれ大学生となっていて、研究室のPCを借りるのも気が引けて、親に頼みこんで当時35万円くらいしたNECの98を買ってもらいました。プログラムコードも当然自分では書けず、友達に最初の雛形を作ってもらい、まだうまく動かないけど流石にこの辺で勘弁してくれと言われ(当然ですが)、その後1,2カ月くらいは自宅で徹夜っぽい作業を続け大学受験勉強以来の頑張りで何とか稚拙な内容ながら卒業させてもらうことが出来ました。今思うと私立大学の理系だったので入学金含めて卒業まで400~500万円くらいは掛ったのだと思いますが、なんとも罰あたりなバカ息子だったと思います。そんなことも有ってコンピューターにも相当なトラウマを感じ、完璧なアナログ人間に成り下がりました。

 ずいぶんと話が脱線しましたが、Bonanzaには興味を感じ、保木先生の論文とかを読みだし(そのほとんどの意味が分からず挫折。こうして見ると自分はつくづく挫折の天才だなというか、思い返せえば人生のほとんどが挫折の積み重ねのよう)、今に至っているわけです。折しもちょうどコンピューター将棋選手権が開催中ですが、将棋というゲームの解明への道のりと発展には興味津々なのであります。

 今50歳を過ぎて、会社に居る間は給料をもらっているのだから頑張らないといけないのですが、60歳を過ぎた後に、家のローンの残高や娘達の成人した後の生活の様子などを見極めつつ、第二の人生の青写真を、ぼんやりながら描き始めようかなと考えだしたところ。振りかえると会社から離れて友達が一人も居ないとか、地域活動やなんらかのアクティビティーに参加していないと孤独なのではないかと感じ始め、元々、誰かとつるんで行動するより一人でいる方が好きな性質ですが、趣味もなく知り合いもいない、nothingの状態は避けた方がいいんじゃないかと考えるようになりました。

 手始めにというかいろいろな将棋イベントに参加するようになりましたが、人見知りなので友達が出来るとかはありませんが、こうしてブログを書いたりしているとイイねを付けてくれたり、コメントを書いてくれる人が居て非常に嬉しいです。

 昨年来、家では二コ生を見るのが習慣になりましたが、その中ではやはり羽生さんが叡王戦の準決勝で天彦名人に敗れたのはショックでした。また男性棋戦は相居飛車戦が多いのですが、横歩取りと角替りはもう一つ楽しくないとか思っていた頃に、女流王座タイトル戦の棋譜中継を見て、里見さんの鋭い差し回しに感激し、またエッセイ集を買って読み、純粋、純朴、真剣、天才、天然?、家族思いの、そのかわいさにメロメロになりました。将棋界の?言葉を借用すると、「部分的には」自分の本当の娘達よりよっぽどかわいいと思っています。

 世間的な観点で自分はたぶん観る将に分類されると思いますが、観る将の人は様々な背景は有るでしょうが、中年以上の男性で将棋との接点が0という人は逆に少ないのではないかと思います。

 このGWに中村太地六段に教わった指導対局が、27(か28)年ぶりに生身の人間と指した将棋となったというのは、かれこれ私のこんな歴史からそういうことになった訳です。