私は、生まれるべき人間ではなかったから、
記憶がある限り、「死」への願望は強かった。
とにかく、誰も、守る人がいなかった、
寂しかった。
一番、守るべき人間である、母親が、
私の存在が、うざかった。
それは、自分の愛する夫、私からすれば、父が、
母ではなくて、私を愛していたから。
3000円が私の価格。
3000円払えば、何をしてもかまわない。
実際に、払われたことはない。
「お前が悪い」
「お前は黙っていればよい」
蹴られようが、性的暴行を受けようが、
関係なかった。
22歳の時、私は、完全に父の言葉にキレ、
腕を切った。
今思うと、本当に自分自身の弱さに、情けなくて、悔しい・・・
そこから、精神科に関わるようになって、
地獄の日々、
今まで以上に、地獄の毎日が、
本当に辛かった。
なんども、死のうとした。
しかし、結局、生き残ってしまった。
死ぬことができなかった、娘に、
「あんたは、わがままだ!あんたは、ふとっていたから、生きているようなもので、
痩せてくれていたら、消えてくれて助かったのに、ああ、まったく、あんたって子は
まったく、自分勝手の、わがままな、キチガイなんだから。」
あれから、15年以上が経ち、
昨年、調停により、離婚が成立し、仕事を始めても、
やはり、かなり、きつい・・・・
私の生きてきた道のりを、話しても、ありえないことばかりで、きっと理解できないだろうね。
それでも、生きていかなければならない・・・・
飲まなくてもよい薬を、散々飲まされ、
てんかん薬だって飲まされて、
私はてんかんではないのに・・・・
しかし、主治医に確認してから、運転して仕事に行っていた。
今思うと、かなり、怖い。
私は、一体どうやって生きていけばよいのか・・・・?
また、長いトンネルに入ってしまった。