奪われた20代 | るいの徒然なブログ

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過去、現在、未来を、さまよい続ける、るいの頭の中

私が、精神科に関わるようになってしまったのは、確かに弱い自分の愚かな行為からだった。

22歳、バセドウで入院中、父との電話で、今まで張りつめた糸がプツリといって切れ、
気が付いたら、手首にカッターをあてていた。

しかし、縫うほどでもないのに、即行、精神科病棟に強制的に転院させられた。
そこからの人生は、20代は、地獄であり、生きている実感がもてなかった。

学校の先生になる。
という夢は、どこへいってしまったのか。

ありえないような薬を出され、
副作用を訴えれば、「統計的にありえない」の一言。

結果、拒薬をはじめてしまい、
それが一か月くらいすぎると、無性に薬を飲みたくなる。

その誘惑に負ければ、ICUに搬送され、
家族から罵られ、今では、屑扱いに。

何度も、同じようなことを繰り返せば「人格障害」というくくりになる。

私は、学生時代、臨床を学んだこともあったので、
自分は薬では治らないと実感して、
当時に主治医にカウンセリングを相談すれば、
「あんな精神分析なんて意味なんかない。金輪際、カウンセリングなんて言葉はだすな」
と完全否定。
その主治医には、
「君は、どこに行っても不適応だね。まったく、こまったものだよ。」
と言われた。
彼の専門はてんかんであり、私はてんかんではないのに、
てんかんの薬をたくさん出されていた。
当時、仕事をしていたし、通勤で車を使っていた。
某市でてんかんの患者が、運転中に居眠りをして、登校中の児童の列に突っ込んだ
死亡事故の道を、私は、毎日通勤でつかっていたのだった。

精神科医は、患者の社会復帰なんて望んでいない。
自分に縛りつけるようにすれば、医師の懐は肥える。
患者が路頭に迷うおうが、そんなことは、お構いなし。

私は、統合失調症と診断されたことがあった。
後に、セカンドオピニオンで、当時出されていた薬を見せ、問診をしながら、
セカオピの医師曰く、「これはひどいなあ。今、かなりきついですよね。
あなたは、統合失調症と考えるのは、疑わしいですし、だからといって、
デイケアに行かせた担当医の判断には同じ医師として本当に申し訳ない。」
という答えをいただいた。
私を統合失調症と診断した精神科医は、
ロナセンで論文を書きかなり評価されている医師であった。
その医師は、必ず、「何か見えたりしますか。誰かに吹き込まれたりすることはありますか。」
など、いわゆる、幻聴・幻覚の確認の質問を、毎回否定しても、ずっと続けていた医師であった。入院中にそれをされると、警察に連行された容疑者が、
刑事に「おい自白しろ!お前がやったのはわかっているんだ」を
脅迫されているのと同様かもしれない。
毎日のように詰問されていたら、「肯定した方が、楽なのでは」という心理になる。
退院後、デイケアに通うことになり、何か所か見学したが、
見学に一人で行くたびに、職員の方に、びっくりされるし、
「ほんとうに統合失調症ですか?ここで社会復帰を考えられるよりは、
簡単なバイトなどで徐々に社会復帰をされた方が良いように思います。」
と言われることばかり。
しかし、担当医はとにかくデイケアに行くことを強要した。
退院して、たった半日3日いって、耐えられなくて、デイケアは辞めた。
そのデイケアの施設長は、今考えると、ドクハラにあたると思う。
初めて会った時も、誰もいない別室に呼ばれ、
突然施設長に抱きつかれて、「お前死にたいんだろ?俺にはわかっているから、
正直に話せ。そうしたら、やさしくいいことしてあげるから。」
もうあまたの中パニックで、記憶がない。

今、離脱症状で、かなりつらい。
最近、始めたバイトも、手の震えのため、やめざるおえなかった。
接客は好きな仕事だった。
しかし、薬害のため、もうできないかもしれない。

何もしらない人は言う。
「過去にばかりこだわりすぎるな。
自分が犠牲者だとか、他人を否定するようなことばかり言うと、
人間の品格をおとすよ。
未来に希望もちなよ。」
もうおかしくて何も言えない。
あなたに何がわかるのか。

確かに、過去は戻ってこない。
しかし、未来にも、希望がもてない。

なにか、よいう方向に行こうとすると、
必ず、離脱、副作用に悩まされる。

もうどうしていけばいいのか、
わからない。