「今宵、月明かりの下で…」20

「願い」



それから、数日後・・・

ミニョの頬の腫れは治まり、痣も綺麗になくなった。
久々に、部屋に香を焚き、白粉を塗り、紅を差し、艶やかな黒髪を盛り上げ、カチェを付けると、かんざしを刺した。
刺繍が施された色鮮やかなチマチョゴリを着ると、チマを胸までたくし上げた。

『えっ?何、言ってんだい。もう少し、休んだ。店の心配なんかしなくていいから・・・。』

ミジャが、心配そうな顔をしていたが、『ウォルファ』は、ニッコリと微笑みを浮かべた。

『私なら、もう、大丈夫。
これ以上、休みをいただくわけにはいかない。ホランお姉様、ひとりだけでは、大変でしょ?
それに、大事なお客様を待たせるわけには、いかない・・・でしょ?』

と、ミニョは、また、妓生『ウォルファ』として、酒席に立っていた。

* * * * * * * * * *


「心配したんだ。大事な顔に、傷が残らなくて、本当に良かったな。以前と変わらぬ、美しい『ウォルファ』だ・・・。」

「ありがとうございます、シヌ様。」

ウォルファは、シヌの横に座り、笑みを浮かべながら、お酌をしている。

「実は・・・シヌ様に、ある『お願い』が・・・」

「なんだい?」

「ファン・テギョン様に、お会いしたいのですが・・・」

ウォルファは、伏し目がちに、頬を紅く染めた。

「あぁ、そういえば、テギョンが、会いに行ってたことがあったな・・・」

「はい・・・実は、徹夜で、看病をしていただいたので、その御礼を・・・ご都合が良いときに、『三日月館』にいらしてほしい・・・と、お伝え願えますか?」

「ふーん、そういうことか・・・少し、妬けるんだが、まあ、ウォルファの願いだから、仕方ない。必ず、伝えるとしよう。」

「ありがとうございます、シヌ様。」

ウォルファは、ニッコリ微笑むと、シヌの腕に抱きついた。

“自覚はないだろうが、ウォルファも、きっと、テギョンに、恋をしているのだな・・・

でも、不憫な恋だな・・・
終わりが見える恋なんて・・・”

シヌは、注がれた酒を飲み干した。

その日のうちに、珍しく、シヌは宿舎に帰ってきた。
テギョンは、すでに寝床で、本を読んでいた。

「三日月館に行ってきた。」

「・・・そうか」

テギョンの眉が動いたのを、シヌは見逃さなかった。

「ウォルファが、お前に会いたがっていた。いつかのお礼がしたいと・・・。
お前だって、会いたいんだろ?
今すぐ、行ってやれ。
その為に、俺は、仕方がなく、早く帰ってきてやったんだから・・・。」

テギョンは、不愉快そうに、ムスッと、口を尖らした。

「何、今更、意地を張ってんだ?お前が、ウォルファのこと好きなことくらい、お見通しだ。女を待たせるな。早くしないと、次の客の相手をしてしまうぞ。」

テギョンは、弾かれたように起き上がり、上衣を羽織ると、寄宿舎を出ていった。



★★★★





「今宵、月明かりの下で…」19

「愛おしい」



翌朝、テギョンは、「三日月館」から寄宿舎へと帰ってきた。

「おかえり、テギョン。昨夜は、どちらへ行ったのかな?」

引き戸を開けると、テギョンは、不機嫌そうに口を尖らした。
そこには、シヌが、ニヤニヤと笑う口元を扇子で隠しながら、テギョンを見ていた。

「少し、寝る」

テギョンは、聞く耳を持たないまま、敷かれた布団に寝転がった。

「なぁ、ウォルファのとこに行ったんだろ?どうだったんだ、初めての女は?あの本が役に立っただろ?」

興味津々のシヌが、矢継ぎ早に質問をしてくる。

「うるさい!!あっちは、怪我人なんだ、抱くわけないだろ?」

「なんだ、抱いてないんだ。じゃあ、お前は、何しに行ったんだ?」

“ただ・・・ミニョに、逢いたかった・・・”

そんなこと、死んでも、シヌには言えないテギョンは、これ以上、話す気にもならず、口を尖らしながら、布団を頭から被った。

恐怖で、小刻みに震える小さな身体、真っ赤に腫れ上がった痛々しいその顔が、胸を締め付けさせ、唇を噛み締めた。

“どうやって、慰めてやるべきか・・・”

女など慰めたこともない自分には、優しく慰めてやる術もない・・・。

「あっ・・・お願いです・・・どうか・・・顔を・・・見ないで・・・」

顔を背けようとするミニョの肩を咄嗟に掴んだ。
涙を流すミニョの真っ赤な頬に触れる。

「テギョン様・・・」

ミニョの涙で潤んだ瞳が、自分を見つめ、弱々しく、か細い声が、自分の名を呼ぶ。
胸が苦しいほどに、込み上げるこの想いは、“いとおしさ”なのだろうか・・・
大丈夫だ・・・怖くないから・・・と、頬を優しく撫で、ミニョを見つめる。
お互いの息遣いが感じるほどに、見つめあっていた。

「テギョン様・・・」

切ないくらいに甘いミニョの息遣いを感じながら、ミニョの唇を、自分ので塞いでいた。

まるで、ミニョを慰めるように、優しく、その柔らかな唇を啄むように触れる。
不謹慎にも、唇に残る血の味さえも甘く感じてきてしまい、これ以上のことを望んでしまいそうになり、テギョンは、名残惜しそうに、ゆっくりと唇を離すと、ミニョの顔を見つめた。

「・・・ミニョ」

声に出さないで、ミニョは泣いていた。
ポロポロと、ミニョの頬に零れ落ちる涙を拭うと、ミニョの身体を抱き寄せる。
思った以上に、小さく、柔らかい身体は、強く抱き締めたら、粉々に崩れそうだった。
幼子を宥めるように、優しく、その背中や頭を撫でる。
ミニョが、泣き止むまで、そばにいるから。だから、声を出して、泣いていいんだと、甘えていいんだ、と。
おずおずと、ミニョの腕がテギョンの背中に回り、ギュッと、衣服を掴む。

ミニョが、泣き疲れて、眠りに就くまで、テギョンは、ミニョを抱き締めていた。
そのまま、ミニョが寝入っても、テギョンは、ミニョから離れることはなかった。
枕元にあった桶にあった濡れた手拭いを、ミニョの真っ赤に腫れ上がった頬にあてる。
テギョンは、ほとんど眠ることなく、ミニョの看病をしていた。

濃紺の空が、白々と空が明るくなる頃、ミニョが、目を覚ました。
水の音が聞こえ、そちらに顔を向ける。

「・・・テギョン様?」

「起きたのか?」

「・・・はい。
あの・・・ずっと・・・そばに居てくださったのですか・・・?
ありがとうございます・・・
ご心配かけて、すみませんでした・・・。」

ミニョが、申し訳なさそうに頭を下げる。

「好きな女を、心配するのは、当たり前のことだろ・・・?
だから、気にするな・・・」

「え?」

驚いたようにキョトンとしているミニョの顔を見ていられず、テギョンは、そっぽを向いた。

「か、帰る」

バツが悪くなったテギョンは立ち上がると、部屋を出ていく。

そして、寝不足のまま、寄宿舎へと帰ってきたのだった。



★★★★




「今宵、月明かりの下で…」18

「恋焦がれて」





真っ暗な夜道を走り、息を切らしながら、テギョンは、『三日月館』に辿り着いた。

こんなに走ったのは、何時ぶりだろうか・・・?
妾(めかけ)を迎えた父上に反発し、屋敷を去っていった母の背中を追いかけた、あの幼い日だろうか・・・?

「母上・・・母上・・・」

泣きながら、幼い日のテギョンが、母親を追いかけている。
母親は、一度も、テギョンの方を振り返ることはなかった。

真っ暗な夜道

雲に隠れた月

ぼんやりとした月明かり

暗闇に消えていく、母の背中

昔の苦い思い出が重なり、テギョンは、辛そうに唇を噛み締めた。

暫く、テギョンは、その場で息を整えると、『三日月館』に入っていた。

「いらっしゃいませ」

いつものように、ユリが、テギョンを出迎える。

「ファン・テギョン様?」

「ミニョは?ミニョは、何処にいる?」

「お部屋で、休んでいらっしゃいます。でも、今は、行っても、無駄だと・・・」

「何故だ?」

「ミニョ様を心配したお客様方が、お見舞いにいらっしゃるのですが、ミニョ様、誰とも会おうとしないのです。たぶん、顔を見られたくないのかと・・・」

「そんなに・・・傷が酷いのか?」

「何度も殴られたせいで、顔が、真っ赤に腫れているんです。
お客様には、綺麗な顔でいなければ・・・この顔を見せれば、『妓生』の恥になると・・・。」

「邪魔するぞ」

驚くユリを余所に、テギョンは、口を尖らしながら、ドカドカと、妓楼の中に入っていった。
ミニョの部屋の前、一瞬、躊躇したが、引き戸を静かに引いた。
部屋は、静寂に包まれ、部屋の奥に、布団が敷かれているのが見えた。
いつも、花のような香りがする香を焚く匂いもしなかった。
テギョンは、足音を立てずに、そっと、部屋の奥へと歩いた。

布団の真ん中が、丸く盛り上がっている。

「ぅ・・・ヒック・・・グス・・・ぅ・・・・」

ミニョは、布団を頭から被り泣いていた
テギョンが、そっと、布団に手を置いた。

「っ・・・ユリ姉さん・・・?」

ユリだと勘違いしたミニョが、埋めていた枕から顔を離し、ゆっくり振り返った。

テギョンとミニョの顔が合い、涙で潤んだミニョの目が、驚きで見開いた。

「テギョン様・・・?どうして・・・?」

テギョンの顔を見て、顔を隠すのも忘れ、混乱しているミニョ。
テギョンは、ミニョの顔を見て、言葉を失っていた。

真っ赤に腫れ上がった頬や目蓋。
血が残る、痛々しい口元。

唇を噛み締め、まじまじと、ミニョの顔を見つめているテギョンに、ミニョは、やっと気付き、慌てて、布団で顔を隠そうとする。

「あっ・・・お願いです・・・どうか・・・顔を・・・見ないで・・・」

テギョンは、ミニョの肩を掴み、動きを制した。
ボロボロと涙を流すミニョの真っ赤に腫れ上がった頬を、そっと、手で包み込む。

「テギョン様・・・」

テギョンの真剣な眼差しで見つめられ、ミニョは、息を呑んだ。
テギョンに触れられた、真っ赤に腫れ上がった頬が、更に熱を持つのを感じる。
お互いの息遣いを感じる距離まで、顔が近付く。

「テギョン様・・・」

もう一度、ミニョが、テギョンの名前を囁いたとき、ふたりの唇が重なった。




★★★★


前回のハナシだけでは、ミニョが痛々しくて、可哀想だったので、本日は、2話分、更新です。

やっと、ここまで
キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!って、
ホッとした感じです。

これから、暫くは、甘い感じになってくれれば・・・いいかなぁ。(〃∇〃)