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自分不器用ですから

下手の横好き、へっぽこモデラーの工作&料理Tips。
手先の不器用なオッサンの、どうにかして器用な人と渡り合おうと健さんもとい研鑽を積む過程の記録。
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極度の腰痛でほぼ何にもできない状態にあるので、気晴らしに久々の投稿。

JR西日本が「やまぐち」用に旧型客車風レプリカ客車の新造をプレスリリースした。

「編集長敬白」でイラストを見たが、少なくとも車体から上は旧型客車にしか見えない。

内装はもちろん、プロトタイプとされる「オハ31」「オハ35]「マイテ49」にかなり似ている(「マイテ49風」だけはシートの並びが違うようだが色合いなど印象は極力近づけてある)。


車いす対応車は横引き戸なのだろうが、ほかは多分、バス用のシステムでも使った開き戸なのだろう(今の構造規則が原則自動ドア(半自動はOK)なので)。


ただ、イラストでは台車がいただけない。

今の新車に多い、「ボルスタレス台車」なのだ。いわゆる「コピペ」なのかもしれないが(そう思いたい)。

そんな旧型客車は世界中どこ探したってない。せいぜい旧来の構造の延長にあるエアサス台車どまり。


JR西日本は国鉄引き継ぎの電車をまだかなりの数抱えている。

当然ながら保守点検のためには一通り図面が必要だし、現につい最近同年代の台車の枠を交換用部品として再度製造したりもしている。

つまり、うわものの印象に合った50年くらい前までのボギー台車を、再度新造することも可能なわけだ。


まあここから先は完全に冗談なのだが、 「乗ったら最後帰れない・行先不明・終いにはネジに」なんてことは勘弁願いたい。



さて、腰痛がどんな程度かというと、コルセットで巻いている。杖も手放せない。

最初鈍痛と筋肉の引きつりだったのだが、家事にも勉強にも支障し、腕がいいことで評判の整形外科に行ってきた。加温・電気マッサージはどこの整形外科でもやってくれるが、ここはそのあとうまく骨の組み合わせや筋肉の張力を調整して、本来あるべき位置に自然に治してくれる。院長先生のその技は、別段力技ではなく、むしろ応力を利用しているのだろう。十数分ほどだが、一気に楽になった。

翌日は本来経過観察だったのだが、交通障害で2時間ほど缶詰にされ、妙に奥行きの深い座席に座っていたらしびれがひどくなってしまった。

あまりにひどいので麻酔ブロックという荒業をお願いし、週末まで再度経過観察となったのだ。

そして再度施術を受け、本来2日目だったはずの行程を終えたところだ。


自室の椅子が車輪付きなのと、寝床のマットレスがチャチなのも原因だったので、車輪なしの椅子に替え、マットレスはアウトドア用品店で厚さ25mmの高反発性ウレタンマットを買ってきた。


このマット、最初は「硬すぎたか?」とも思ったが(結構痛い出費でもあった)、朝起きてみると「寝過ごした!」と思った直後、実はいつもより数段早く目覚めたことに気づく。それだけ熟睡できていたのだ。


乗り物の椅子は腰痛持ちに設計させるべきだろな。

「関西」ネタで前回「〇回生」という言い回しに触れた。

今回もそれに多少関係する。


先の記事の「夢の扉」の少し前、目にかなり強烈な支障をきたし眼科にかかった。


モニターの類は見ていてつらく、かつ脳みそをガンガンに刺激しまくる。


掛かった眼科の院長さんは、大体同世代の方だった。だんだん自分もそんな歳になってきたのか。前はこの先生、「若先生」だったと思ったが。


診断結果を聞いている時、話された話が一瞬、うまくかみ合わない。


「自分の目はねぇ・・・」え?先生、用例としてご自身の目玉を引き合いに出して話されてる?

少し間をおいて、ようやくその「自分」というのが僕(患者のほう)のことだと分かった。

つまり「自分の目」というのは、さっき検査を受けた僕の目玉。

世代が近いから、フランクに話されていて、どうやら関西の医大に進学して医者になったから、そういう場面で「君」というにはカタすぎる時、先生は「自分」と仰るようだった。


関西弁との接点はさほどないので、少し混乱した。


ちなみに検査結果としては、「それなりに近視や乱視がきつく入っている。が、そういう人の目の方が、何歳になっても手元は確実に見える。むしろ40代になっても眼鏡なしでどこでも見えらぁ的な視力自慢できるほどの目の方が、その後の老眼で手元が見えず、さらにそのうち遠方も見えにくくなり、にっちもさっちも行きにくくなる」とのこと。またそれ以上に心配していた緑内障は、「死ぬまでなるリスクなし」というお墨付きを頂いた。


以来、眼鏡は極力外すようにした。多少ものが見えづらいときは猫背にして目を近づけてでも、眼鏡はかけない。さすがに運転免許条件に入っているから車の運転中は外すわけにはいかないが。

ひよっとすると、「茶で汽車が走る」なんてことになるかもしれない。

先週(昨日じゃなくて15日)のテレビ「夢の扉」。


石炭類似物を人工的に作る、という研究を紹介していた。


石炭が化石燃料であると同時に大昔の植物からできていることは周知の事実だが、後発の石油より遅いものの掘り続けていればいずれは枯渇する。


石油の方が先に枯渇が予見されてきたから、ずっと石油代替燃料だの電気自動車だの、あるいは車に依存しない社会の構築など、各方面の研究者が競ってきた。


少し前、米軍が海水と海水中の炭酸ガスから石油系燃料―軽油とかジェット燃料とかを洋上の補給艦で製造し航空機や軍用車両へ供給する、というシステムを構築したらしい。


ただこのエネルギー源が問題で、艦が核動力艦であり、原子炉で作った電気だという。

311やチェルノブイリに懲りた日本人やヨーロッパ人に、受け入れられるプランではない。


太陽光パネルで発電した電気でも不可能ではないが、単位面積当たりのエネルギー量が少ないため、生産量はごく限られてしまう。


バイオエタノールの類の最大の問題点は材料が人間の食糧とかち合う事で、人間が口にしないものを材料にし、かつ効率よく生産できなければならない。


石炭の生成過程自体は、小学生の理科だかで既に習うはずだ。

ただそこで、「膨大な熱量と土圧、数千万年の長い時間」と教わってきたから、代替物を短時間かつ高効率で製造できるなんて誰も思わない。


GPa(ひょっとするとMPaで足りるのかもしれない→調べたら本当にMPa単位で足りた―詳しくは下記追記―世代故kg/c㎡で考えがちだが)で温度は何度か、加熱時間はどのくらいか、を数量データで蓄積してこなかったから、「人智では無理」というイメージが独り歩きしてきたのだろう。


圧はかけていないが、備長炭のうち「白炭」は金属音がするほど硬質で熱量も高く、性質はほぼ石炭である。

ただ―備長炭はウバメガシでなければならないだとか、同時にある程度の割合で白炭と黒炭が出来てしまう(黒炭は安いので、その分の損失が白炭の値段を釣り上げる)など、問題も多く、大量には作れない。


この番組のころ、連日目に異常を感じていたので、興味を大きく惹かれる話題だったが、あえて裸眼で(つまり見えづらくすることで視神経への刺激量を強制的に落とした)、要所要所だけちょろっと見ただけ(というより聞いていた部分がほとんど)であるが、製造にかかるエネルギーも製品の発熱量に対しごく少なく、かつ「石炭」としてみても上質だという。


石炭ではウェールズ炭が最上質とよく言われる。ほぼ無煙炭だが有煙炭なみに炎が強く、ボイラーの加熱能力が高いのだ。通常の無煙炭は発熱量自体は高いが炎が短く、熱を有効活用できないので、別の用途に回る。


九州や北海道、そして中国の撫順の炭鉱は有煙炭の一種の瀝青炭で、煙が出るので鉄道のサービス面や蒸気船時代の軍艦のステルス性には向かないが、動力燃料としての能力は一定レベルある。

長いこと無理をして掘っていたのもそのためだ。


この日の番組で紹介された学者さんが作った「石炭」はほぼ、ウェールズ炭だった。(後日記:というより、ウェールズ炭が天然のコークスといった方がいいのかもしれない)

火中に投げ入れた直後も黒煙は出ないし、炎も長い。


そしてこれの材料が、「炭になりうるものなら何でもOK」というのが一番の驚きだった。

実験ではお茶殻を炭化させていた。含水率も高く、日本人は緑茶を大量に飲むので(かくいう僕も仕事用に安いペットボトル緑茶を箱買いしているが)茶殻は食品廃棄物として大量に出まくる。

現状これらは「産業廃棄物」として引き取り賃を払って始末してもらっているが、こういう利用法が商業ベースで確立されれば、逆に代金をもらって引き取ってくれるものへと変わる。


同様な素材が、「おから」とか、河川敷で大量にはびこるセイタカアワダチソウのような駆除の難しい外来種植物でかつ繁茂の速いものだろう。


茶畑の中を走る大井川鐵道などは、こういう事も出来るのではないだろうか。

「当社のSL急行は沿線のお茶から燃料を作り走っております」





後日追記:正式にはこの石炭そっくりの燃料の名称は、「バイオコークス」というのだそうな。

開発者のかたを取材したものなのか、その研究所自体がアップした素材なのか知らないが、ウェブ上の記事であたると、直径10cmのペレット(サイズ的には練炭だが・・・)を作るシリンダーに、16トンの荷重(結局は圧力になるのだが)を掛けて固めたのち加熱するという。


おそらくは既に特許を取得ないし申請中だからこそ、温度などのノウハウまで開示できるのだろうが、直径10cmの円柱断面に16トンかかるとなると、その面圧は大体203kg/c㎡≒20.78MPaとなる。


(圧力p=w/πr^2)


世界中見回しても、蒸気機関車のような比較的小型の移動式ボイラー(と言ってもアメリカのビッグボーイまでが範疇だが)では実用上21kg/c㎡(≒2.06MPa)程度が上限で(試作で100kg/c㎡ボイラ搭載車を作った国もあったが、コスト的に見合わなかったので普及せず)、第二次大戦後は世界中のほとんどが14~16kg/c㎡でまとまっている。

但し移動式と言っても大型船舶用は別で、固定式と同じくボイラーの圧力は100kg/c㎡≒10MPaを軽く超し、20MPa程度は圧力容器として問題なく製作可能だからこそ、このようなプラントが作りえたのだと思う。


ペーパーキット切り出し2

鉄道模型のペーパーキットを買い入れて、切り出し、組み立てている。

親父殿の病状もある程度見通しがつき、連休中このような余暇をこなす余裕がやっとできた。


神奈川の工房 からCADプリンタした客車・ディーゼルカーの車体キットを合計4台分購入して組んでいるもの。


これは1/80だが、工房では1/87(本来のHOスケール)とN、軽便鉄道のみだが1/45(日欧のOスケール)1/48(アメリカ規格のOスケール)、そしてごく一部のみだがTT(1/120)を展開している。


工房の開業5周年という事で、形式のどこかに「5」が付いていればその商品は半額で販売します、というセールで購入したもの(なんか桂三度みたいだな・・・)。来年は「6」だろうか。


正札で買えば1万円を超したが、この恩恵を受けた。車種は「スハ45(国鉄スハ43客車の北海道バージョンで、模型としては外観がスハ43とほぼ同じ)」「国鉄キハ52ディーゼルカー(いま千葉のいすみ鉄道で走ってるあれ)」「関東鉄道キハ500」。

全部「5」をどこかに含んだものだ。


このキャンペーン、かなり大盤振る舞いで、のちに知れ渡った形式番号が「5」を含まなくとも旧番かコンバージョン(類似形式または改造後―戦中戦後はローカル私鉄中心に電車⇔ディーゼルカーの相互改造さえザラにあった)が該当なら全て対象。(ただし―スハ45の車掌室付き「スハフ44」はどこにも「5」がないので対象外。ま、お祝いのキャンペーンだからそれくらいの制約は仕方あるまい)


だから「国鉄キハ17」も旧番が「45000」なので該当し、私鉄で譲渡の結果形式を複数持つ結果になったものは製造から最終廃車までのどれかの会社で「5」が付けばオッケー。


最初は1/87以上の大きいサイズだけが対象だったが、好評につきNも2両1組を条件に対象に加わった。



スケールは1/80でも1/87でも工作の難易に実質差異はないのだが、出来上がった時箱だけにしないためにより廉価なのは1/80のため、1/80で購入した。


いずれは1/45を、と考えているので、練習の意味合いが大きいのだが。(ただ1/45は17メートル級で38cm、20メートル級だと45cmにもなり、紙の尺が足りないので、外板と中板の分割位置をずらした上で切りついで作った方が合理的であろう)


昔は静岡・函南の「小高模型」などが有名なペーパーキットメーカーで、ある程度プレス抜きで組みやすいものが売られていたが、何分模型メーカーはオーナーさんが亡くなるとそれきり廃業するところも多く、「小高模型」もそうなってしまった。


台車は東京・東日暮里の「日光モデル」が購入した各形式に似合いの物を売っているので、完成した暁にはそれを履かせる予定である。


何分窓抜きをせっせとやるのは今回が初めてであり、カッターと定規の使いこなしはまだあまりうまくいっていない。

切り残し・ほつれ・歪み・・・結構やらかした。


最初に「スハ45」を組んだのは購入3車種中これの車体が最も直方体に近い一番簡単な構成である事、2台買ったのはこれなので練習にはこれが適当である事による。


そして無論のこと、2台同時にはあえて進めず、最初の1両目である。


歪みだけではなく、作っている最中で、「2両目はこうしたほうがいいのでは?」と思われる発見もあった。


デッキの外側の柱は側板寄りは細い紐状になってしまうのだが、これでは2、3枚貼り重ねてからでも強度的に弱く、少なくとも車体の折り曲げの下加工をしてから抜き落とした方が良さそうである。


何度もずれた切抜きをやらかした結果行きついたのが、カッティングマットと紙材、定規をマスキングテープで仮止めしてずれを極力補正するのが適当であろう、という結論であった(玄人の方からすれば何を今さら・・・だろうが)。


貼り合わせは工房のやり方とは変え、木工ボンドを適宜塗り広げた後万力やハタガネで締めながら間を通すという方法を取り、均等に圧着するように貼り合わせた。


次にどんどん繋げていきたい。


ダブリ買いした本

大量の蔵書を抱える一方、基本的に本のコレクターではないので、同じ本を複数冊買うことはない。


が、やってしまった。これで3度目か4度目だ。


大概はこのパターン。


本のジャケットを見る→見覚えがない→「読んだっけかな?」→「確認するのを待つわけにいかない(大抵出先で、本屋の棚にはそれ1冊きり)」→レジ直行→帰宅→やっぱりあった


奥付見たら印刷・製本まで同時期で、取り次ぎか版元の在庫が時期をずらして出てきただけのものだった。


出費が痛い。しかも上がった消費税分、2冊目は高く買ってるし。

3年半前の震災に伴う福島原発の事故以来、電力の節約は重要なテーマになっている。


だからそれ以降、それまで温暖地扱いだった土地でも通年電車のドアが半自動(今の物は正確には、乗客各自が自動ドアをボタンで開けたてしてるのだが)にしたりしてきたが(夏は勿論、冷房の冷気を逃がさないためである)、まだ全部には行き渡っていない上、体には冬場の方が堪える。


長野地区にかつて東海道線・東北・高崎線を走っていた電車が引っ越してきた。

運行範囲は東は東京の立川、西は岐阜の中津川まで。全区間寒冷地である。


東北・高崎線系統のものは最初から寒冷地仕様の為、機械として見るとつくりかえた部分はほとんどないのだが、東海道線東京口は温暖地のため、そのままこの区間を走るのは冬場の乗客にとり相当に酷である。


結果、寒冷地仕様に改造された。改番するとかはしてないようだが、それは元東北線向けまで含めてトータル100両程度であり、また適当な番号の枠がないためだろう。改番自体は管理が目的であるから、それに差し支えなければやらないほうが手間も省ける。


後付け改造というのは得てして高価に付き、節電というメリットもあったのだから東海道向けも最初より寒冷地同様の開閉ボタンがあってもよかったろう。


昨今のJRの電車の番号は、異様に枠を食いつぶしている感がある。今は各会社別個の構造で作り、会社間の互換を考えなくてもいいという背景があるにせよ、仕様別どころか路線別で1000単位で番号を飛ばし(仕様の差はほとんどなしにででも)、両数の少ない会社でも小改良だけなのに小さくて100、大きければ1000単位で番号を飛ばす。前ロットが数両なら、次ロットは10飛ばせば十分だろうに。


民営化直前の国鉄もやたら桁の多い電車があった感がある。それに似ている気がしていささか気になる。






速成オムライス

オムライス。アメリカ人のお笑いタレント、「ぬわらし」のマイク・B・アイク氏によれば「日本に来て初めて食べて、『こんなうまいもん初めて食べた』」というものだが、家庭で本式にやるには結構手間もかかり面倒でもある。


いくら「名店のとろふわオムライス」ではなく固めに焼き固めた形の比較的簡単なものでも。

終いには業務用スーパーでオムライスの形まで仕上げてしまったものまで売ってる。

いくら卸値に近い廉価で売ってるとはいえ、中身が分かりきっているものをわざわざ完成品で買うのもバカバカしい。6~8個で千数百円というところか。しかも味の選択肢は一択。


ただやり様によっては、トータル7分程度で作れる。原価もそこそこで、中身もバリエーションあり。


冷凍食品のチキンライスやドライカレーをそのまま食べるのではなく、素材として使う。


確か1袋3~4人前で300円弱で売っているこれをまず電子レンジで加熱。大体4分半。


加熱中卵を2個割り溶き卵にして、同時にフライパンを予熱しておく。


即席オムライス

この溶き卵、茶さじ2杯分ほどの薄力粉を混ぜてある。可能な限り薄目に広げるためだ。


フライパンが中華鍋代用の深底なうえにサイズがやや不適当なため、ここからがいささかやりづらい。


油をひいた段階で、コンロの火力は中火以下。鍋を回し底全体に卵をいきわたらせる。



オムライス作成中

加熱の終わった中のライスは、わざと片方に寄せて鍋に放り込む。

今回妙な色の絵づらになっているのは、中半分が通常のチキンライスを使ったオムライス、反対側がドライカレー具材のドラオムのため。


これを巻いていくのだが、クッキングパパで昔見たようにはうまくいかない。

フライパンの上で巻けるのはせいぜい半分まで。

最終的には更に載せるときの回転を利用して巻き込む。


出来上がりは一番上の写真がそれだが、再掲したのがこちら。


速成オムライス

フライパンの上で焼いてるのはせいぜい2分、間の間合いも入れて7分台だと思う。


我が家で使っている卵はMサイズで、特価でない限り通常10個188円程度。内税か外税かは忘れた。

だからトータルで、卵が2個で50円程度、中のライスが90~120円程度。


食用油は大匙1杯(15ml程度)であるため、購入価格を覚えていれば算入可能だが、どのみち大した影響はない。


大き目に計算してもせいぜい170円以下。味・分量の選択自由、というオプション付き。

埼京線の混雑はひどい、というのはよく耳にする。

乗客の流動に合致していた(し過ぎていた)ためであろう。


開業は30年ほど前、東北新幹線が都内に乗り入れる際の引換条件だったという。


「沿線から新幹線には乗れないし、騒音問題がある。通勤電車なら地元民が恩恵にあずかれる」という事で(細かいことは書店の本でも、ウィキペディアにでもいろいろ記載がある)できたらしいのだが、いざ走り出してみると新幹線より通勤電車の方が数倍うるさいという皮肉な結果を招いてしまった。


あてがわれた電車が山手線か、埼京線の前身・赤羽線(今も正式名称としては存在)の電車で、本来設計上の最高速度100km/hで大本数走る前提ではないものが走り回ったからであった。


私鉄電車は同時代の電車でもそこそこ静かだが、モーターを冷やすファンが筐体の内側に入っており、騒音をまき散らさないからであった。


但し国鉄―JRの電車でも例外が2つあった。前述の新幹線と、北海道の電車である。

これらは冷却ファンがモーターにない。


別に過熱しないわけではない。モーター本体とは別個に、風洞の上流にファンがあり、動力モーターの回転数に無関係に圧送されて冷却風が来るため、モーターの回転に伴う電磁唸りをファンがまき散らすことがないだけである。


ファンを外すこと自体は単に「取り付けない」だけだから、それほど難易度があるとは思えない。

北海道並に圧送ファンを付けることは不可能だったのだろうか?

親父殿の患っているのは一応ガン(ステージは初期であり、本人にもしっかり告知済みなので伏せることもないのだが)、いっとき病巣がやや大きくなりだしたことがあった。(高倉健氏訃報を伏せたかったのもそのためである)


快癒するようにと周りも相当気を使ったが、最初のうちはやめろと言われた煙草を一向にやめないわ(「そのうちやめる」と言いつつ止めないのだ)酒量は多いわで、「ホントに治す気あるのか?」と疑うほどであった。身内の善意まで反故にしかねないほどに。


一方、家庭菜園で腐るほど獲れまくったミニトマトを、毎日あきれるほど多量にむさぼっていた。

昔現役時代は今にもまして酒量が多く、同じ酒豪の部下の方が「ウコンがいいよ」と勧められたら免罪符と言わんばかりにウコン粉を溶いては飲み、そして大酒をかっくらい・・・。


「またかい」というのが正直な気持であった。それくらいならさっさと禁煙してくれよと。(先生には「禁煙しない限り、手術はできません」とぐっさり釘をさされていた)


たまたま同時期、僕自身の血糖値の問題から、我が家の男衆は麦25~30%の麦飯に切り替えた。

まあ親父殿も飯食ってる最中に眠りだすくらいだったから、切り替えは必須だったのだが。


何度目かの検診で「まだやめてないんですか!?」と呆れられた直後、お袋殿が強硬手段に出た。

本人の目の前で買い置きしてあった分も含め2、3箱のタバコを、ゴミ箱に突っ込んだのだ。

「また買ってきても、見つけ次第すぐ捨てるからね!」・・・相手が子供のようだ。


それから定期健診までの間、相変わらずミニトマトはぽっぽこ喰らい続け、酒量は減ったものの断酒することなく毎日が過ぎた。


果たせるかな、「病巣が小さくなってますねぇ。周囲への浸潤も見られなくなりました」手術OKのサインを頂いた。


やれやれ・・・というのが感想であった。

後から調べると、トマトも麦飯もそれなりに効用が認められ、食事療法の本にも載っていた。


最初からスッパリ禁煙してくれればなお楽だったのに。

家族から借りて有川浩の「キケン―成南電気工科大学機械制御研究部」を読んだ。
学生時代など遠い昔に過ぎ去ったのだが、作中所在地など一切触れられていないもののなんとなく関西圏をイメージさせるものがいくつかある。「阪急電車」などの代表作が関西舞台ということもあろう。有川女史ご自身は高知の出身だし、「図書館戦争」など関西以外を舞台とする作品も多く手がけられているのだが。
まあ本当に関西だったら大半の登場人物が関西弁だろうし、「県をまたぐ」という表現がいささか矛盾する。なぜって真ん中の2つが「府」で、都市部はその周りに集中しているからである。

それでも関西であろうとする、推測の極めつけは「〇回生」という学年の呼び方であった。

僕自身は地元のしがないちっこい大学に行ったのだが、有名大学を定年退官された先生方を教授として結構な人数招いていた。
その中に一人、関西出身の先生がいらした。少なくとも大学の学部生までは関西在住である。
学生時代、聴講席に座る学生の一人にその先生が声をかけた。多分態度に注意したかったのだろう。「君、何年生や」
すかさず「二回生」だったか「三回生」だったか忘れたが、その年上の学生は「回生」の言い回しで答えた。

そしたらそれが先生の逆鱗に触れ、「君、その『回生』いう言い方やめんかい!」と叱りつけられたのだった。

僕自身は別段当事者でもなんでもないし、その時は「学校によってシステムが違うからなのかな」とごく軽く考えていた。

二十年近くたって、その答えが判明した。
島本和彦の「アオイホノオ」という漫画を、連載時に読んだものである。
島本氏自身を「炎燃(ほのお・もゆる)」という仮名にしている以外は、有名作家になった人物が大勢実名で出てくる。

誰かは伏せるが、作中「四回生だ」と名乗る先輩(?)が出てきた。

実はこの人、一年生なのだ。一年生を4回やってる。・・・主人公と同学年じゃねーか。

つまり、「回生」は留年したのをごまかす時の常套句だったらしいのだ。その先生の出身校では。

どうやら関西一円にもうその習慣は回りつくし、さらにその外側へと広がっていくのが先生には我慢ならなかったようだ。

もうその先生も他界され、遠い昔話である。


追記。ヤフー知恵袋で「何回生」をキーワードに調べたら、大学のカリキュラム構成のロジックが原因で「何年生」と「何回生」とが分かれたらしい。大別すると東大系と京大系。
東大は大多数の高校までの学校と同じく、履修科目を年次で割り振っている。学年の呼び名は「〇年生」。
そのため、履修科目のうち必修科目を落とすと(まあ優良可不可なら「可」、A~Dなら「C」より良ければいいのであるから大多数の学校ではそうガチガチなものでもない)留年となる。
対する京大は履修できる年次の下限が決まっていて(必修科目でない限りあとから履修することもOK)、「何回生から履修可能」と定義している。但し何年も意図的に留年で居すわられても困るので7~8年までしか(4年制学部の場合)在籍できない(過ぎれば即「中退」となる)。

「アオイホノオ」の大阪芸大(作中では大作家(おおさっか)芸術大学)は関西の大学だが、履修システムは東大式だったのだろう。
そういう学校で「何回生」という呼び方は紛れもなく留年のごまかしでしかない。

記憶の限りでいうと、母校の履修システム自体は京大のそれに近い(上限一杯に履修すると受けたい授業を一年見送らざるを得ない事態がままあったので、慣れるとありがたい制度であった)が、あくまで呼び名は「〇年生」としていたので、「何回生」と自称しぬるい態度で受講する学生には先生は厳しかったのかもしれない。