白旗を上げ交渉を | tadahiのブログ

tadahiのブログ

ブログの説明を入力します。

白旗を上げ交渉を

 

共同通信は、「ローマ教皇フランシスコは9日公開のスイスメディアのインタビューで、ロシアの侵攻を受けるウクライナに対し「白旗を揚げる勇気」を持つように訴え、交渉による停戦を求めた。ウクライナのゼレンスキー大統領は現時点での停戦交渉に否定的。教皇はトルコなど仲介役の力を借りることができるとし、事態がさらに悪化する前に交渉するのは恥ではない」と報道しています。共同通信の報道内容からは、ローマ法王が、フランス革命や独立戦争のような、自由のために戦うことを否定したような内容になっています。しかし、教皇庁のコメントは、「教皇は、インタビュアーが提案した白旗のイメージを取り上げ、敵対行為の停止、交渉の勇気をもって到達した停戦を示した。 彼の希望は、公正で永続的な平和のための外交的解決である。」というものでした。さらに、「交渉することを恥じてはいけない。交渉は決して降伏ではない。戦争は常に人間の敗北であり、地理的な敗北ではない。戦争は闇の力である」とも述べています。何か、微妙に内容が違うように感じます。

 そもそも「白旗」という言葉を使ったのは、スイスのインタビュアーのようで、そのイメージに対する法王のコメントだったようです。しかし、共同通信では、明らかに法王が「白旗を揚げる勇気」を持つように訴えたと伝えています。教皇庁は、「彼(法王)の希望は、公正で永続的な平和のための外交的解決である。」と述べています。そうなると、「白旗を上げる勇気」を持つようにという発言は、矛盾するように感じます。果たして、法王は「白旗を上げる勇気」と発言したのでしょうか。考えられるのは、共同通信の恣意的な切り取りがあった可能性です。

 ただ、今の状態での停戦は、ロシアの思う壺であり、侵略を肯定することになると思います。たとえ「白旗を揚げる勇気」という言葉を使わなかったとしても、「公正で永続的な平和のための外交的解決」が停戦協定のことを指すとすれば、結果的に侵略を肯定することになるのではないでしょうか。現状で停戦することは、「命を守るためには、圧政にも従い、侵略も受け入れなさい。死なないために奴隷になる選択をするべき」と言っているように感じます。命を守る宗教の頂点に立つ法王の言葉としては、当然の言葉なのかもしれません。しかし、その内容は、一流の芸術家たちの言葉と同じように聞こえます。つまり、現実的ではなく、観念的であり、一面的な考えだと感じます。言い換えれば、浮世離れしていて、当事者の気持ちを理解していない考えだと感じます。

 ウクライナは、侵略を認め、国民の奴隷化を認めろと迫られていルように受け取れます。これは、宗教家の行為として正しいのでしょうか。スイスのインタビュアーの誘導質問に乗った発言をして、切り取りの記事を書かれるリスクを避けるために、ウクライナへの発言ではなく、ロシアに対する発言をするべきだったと思います。「ロシアは直ちに侵略をやめなさい。ウクライナ人を殺すのをやめなさい。そうしないと、神の怒りをかいます」くらいのことを言うべきだったのではないでしょうか。