「思想の免疫力」・五輪を中止できない「成功体験」の思い上がり | Tempo rubato

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アニメーター・演出家 平松禎史のブログ

 


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岡田麿里監督作品『アリスとテレスのまぼろし工場』

副監督で参加しています。

 

 

 

『劇場版 呪術廻戦 0』12月24日劇場公開決定!

 

お楽しみに!

 

『シン・エヴァンゲリオン劇場版 :II』

3月8日から上映してまいりましたが、興収100億円を突破! ありがとうございます。

本日7月21日に終映となりますが、8月12日からAmazonPrimeにて配信決定。

 

絵コンテ原案、原画等で参加しています。

緊急事態宣言が出ておりますので映画館の状況をご確認くださいね。

 

                  

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8月12日、中野剛志さんと適菜収さんがBEST TIMESでおこなった一連の対談をまとめた新著が発刊されます。

 

 

「思想」と言っても、難しく構える必要はありません。考え方、ものの見方のことです。

 

この対談は、アニメ制作者または表現者として読んでも大変重要な示唆を含んでおり、ものの見方や考え方を整理しながら読むことができました。

たとえば、4月に発表された号にはこんな一節があります。少し長めに引きましょう。

 

《中野:昔、本当にカチンときたことがありました。私が小林秀雄の解釈をしたところ、それを聞いていた老人が「小林が何を言っているのかは分かったけど、私は、小林ではなく、君自身の意見が聞きたい」と偉そうに言ってきた。こういうことを言う人って、よくいるじゃないですか。「ならば、あんたも、自分で小林を解釈してみろ。そうしたら、俺と同じ解釈にはならないことが分かるから」と言いたかったですね。私の小林の解釈は、もちろん小林の言っていることを説明しているのですが、しかし、それは私自身のオリジナリティでもあるんだということです。》

 

引用部の前段にある「溶かす」ということばはおもしろいですね。自分の中でどう「溶か」して表現しているかが重要です。

過去の偉人、偉人でなくとも身近な尊敬できる人、世の中に伝えられている言説、自分が知っている論理的なこと、または、目に見える人物や自然やメカニックなどなど。そのような情報や現象をアプリかプラグインのように取り込んで、そのまま使おうとすれば、考え方は硬直的になりコンフリクトを起こして固まってしまいます。

河合隼雄さんが言うように、「自分はどう見るか」にオリジナリティ…個性が宿るのです。

 

もっとアニメの仕事に引き寄せた場合はこう言えます。現実の人間や動植物、様々な自然の姿を絵や映像で描写する時には、その様々なものを自分の中でどう「溶か」して表現しているかが表れる。あるいは、漫画原作のアニメ化であっても、その原作を受け取って読み込み、自分の中で「溶か」して定着させた上で表現へ持っていくこと、その過程にオリジナリティが宿ります。クラシック音楽では指揮者や演奏家の解釈が重要になります。数十年数百年前に作られた作品を、音楽家がどう「溶か」し、解釈するかにオリジナリティ…個性が宿るのと似ています。作曲家に対する敬意と愛情がなくてはならないのと同じように、現実の物事や漫画原作に対する敬意と愛情がなくては見方を誤ります。愛のない勝手な思い込みは対象を歪めてしまうし、ただなぞっただけでは劣化版を提供することになってしまう。それではオリジナル…個性的かどうか以前の姿勢だと言えます。

 

漫画とアニメ映像では表現様式が違いますから解釈が必要になる。

過去の出来事と現在の出来事を考えるにあたっても、状況が違いますから解釈が必要になります。「自分の中で溶かす」とは、解釈することだと言えるでしょう。

多くの人々に納得してもらえる表現をするには、いろんなものをたくさん見て、感じて、学んで、考え方やものの見方を鍛える必要があるのです。

 

 

過去の成功体験は、その人の個性であり将来の成功の糧になるものですが、成功体験と現実の関連を切ってしまい、自分本位の見方をすれば、すべて台無しにする「思い上がり」となる。未知の事態(人が生きていて出会うことは全て未知の事態だ)の見方を誤るのです。

特に平成以降の政治の迷走、国民の貧困化や格差拡大、少子化、社会心理の荒廃などは、過去の成功体験を思い上がりで勘違いした結果ではないか。思い上がりを過去最大であぶり出したのが、COVID-19災害…コロナ禍だと言える。

 

日本のいわゆる「保守系」と言われる政治家や言論人の多くは、明治時代を日本の基準に据えています。日清日露戦争を勝ち抜き、近代文明国家を樹立した明治時代を日本の最も偉大な、基準とすべき時代だと考えているようなのです。近代日本の成功体験が明治だと言える。

「古事記」「日本書紀」は別々な書物ですが、時代が降りるとともに日本国の基礎とするために「日本神話」へと一元化させてきた(神野志隆光)。江戸時代の国学者から明治期の知識人に至って「日本神話」と「国家」は強く結び付けられ、西洋近代国家に対峙する日本国民の武器へと変質していった。成立の経緯としては「日本書紀」は中央政府(やまと)を中心にするべく編まれたものだが「古事記」は全く異なります(三浦佑之)ので、一元化は歴史の見方を歪ませたものだと言える。国家と結び付けられた「日本神話」は明治時代の成功体験によって政治的な解釈が強まり、昭和の戦争を引き返せなくした。「神国日本」の思い上がりがあったと考えざるを得ない。

日本の制度設計は、全てと言って良いくらい海外の文明国からの借り物です。律令も歴史書も思想哲学も憲法も、そもそも漢語・漢字を借りて発展させた「日本語」もそうです。しかし、それら輸入した借り物を苦心して「溶か」し、日本人に合うようなじませてきた先人の努力を置き忘れ、成功体験ばかり見るようになってしまったのではないか。成功体験と現実との関連が切れる、とはそう言うことです。

 

日本人の基礎部分の誤りは現代にまで影響を及ぼしています。右派・左派の両極に至っては、かたや明治期の成功体験に固執して称揚し、かたや明治期の成功体験を裏返して批判する。両者にとって不都合な面が混在する江戸から昔は、明治を基準に色付けされて歪められる。そんな左右の共同作業によって超長期的な視点は歪められ、現代日本をも歪めてきたと考えるのです。

 

4月15日

 

 

さて、そんな歪んだ思想状態にある日本が、COVID-19災害において混迷の泥沼にハマるのは自明とすら言えます。

ボクは、日本人の「自粛力」を常識に基づく正常な意識だと繰り返し書いています。しかし、これも誤った成功体験をもたらしてしまったため、かたや「自粛丸投げ」を引き起こし、かたや「自粛否定」を引き起こした。感染症が伝播する疫学的な基礎に基づけば、法的拘束力を持つ行動制限に転換する必要があったのですが、自粛の程度に云々する両者にかき消されて議論されなかった。両者の共同作業によってコロナ禍は引き返せない泥沼にハマったと言えます。

日本人には諸外国ほどの拡大を起こさない、無意識レベルの行動様式があったのだろうと考えざるを得ないのだが、研究発展がなされず迷信扱いされてしまった。成功体験を見誤ったために日本人に合った対策を作れなくしてしまったのです。

 

政府やコロナ軽視論者が成功体験を見誤った結果、どんな状況が引き起こされたのか。

 

政府は、自粛で抑え込めるなら諸外国のような制限措置は不要だと考えた。制限措置をしないなら財政支援は最小限に抑えられて好都合です。「インバウンド」や「Go toキャンペーン」、「五輪開催」にこだわるのも過去の成功体験の延長にある。現在の悲惨な状況は、楽観論に加えて、自粛で抑え込めた成功体験をも都合良く解釈している複合的な末路です。

 

政府は、与党政治家含めCOVID-19を警戒する人も少なくないはずですが、政策立案をする段階で楽観論が勝ってしまいます。そこには小泉政権期以来の緊縮+新自由主義的な(与野党の主流派政治家にとっての)成功体験もある。改革・グローバル化・民営化など諸政策で自民党は党勢を強化し、大企業の票を得られる成功体験に味をしめている。その結果、貧困化と格差を拡大してきたわけですが、自民党の支持率は高いので無視しています。

東京オリンピック開催にこだわるのは、「戦後復興した輝く日本」を象徴した1964年の東京オリンピックの成功体験にあやかっているのは言うまでもないでしょう。主にアメリカに借金をして苦心して成長させてきた当時の政治家や市井の人々の努力や弊害があったことは見ず、結果だけ都合良く受け取っている。成功体験だけにしがみついて中止の選択肢を否定しているのです。

 

 

コロナ軽視論者は、COVID-19を風邪と変わらない大したものでないと考えますから、自粛をする日本人は、マスメディアが煽る恐怖の「空気」に踊らされて「ポリコレ」に躍起な「コロナ脳」の「バカども」にしか見えない。風邪と変わらないものを自粛や感染対策で「ゼロコロナ」を目指すのは無意味で愚かだと極端に構え、「経済を回せ」と繰り返し主張している。「ゼロコロナ」を主張しているのは、感染症を軽視している人々ではないか。

感染症と経済論を組合せている藤井聡教授がその代表です。彼は自粛要請を甘受する日本人を「馬鹿(または、うましか)」と言い「大嫌い」とまで言っています。…もっとも彼が(一部の)日本人を嫌いと言うのは何年も前からです。おそらくオルテガの大衆批判に影響されて、自論に賛成しない日本人は馬鹿な「大衆」だと読み替え、嫌ってたのでしょう。疑問を感じる物言いでしたが、ここに来てその思想的な歪みが最大化してしまいましたね。

 

藤井聡教授を繰り返し批判しているのは、経済論と組合せているからです。

コロナ軽視論者には上記のような歪んだ日本観をもつ、いわゆる「ネトウヨ」的な言論人が多い。彼らのコロナ観は「中国ウイルス兵器説」や「ワクチン陰謀説」や「五輪中止は中国を利する論」などで重なっているものの、経済についてはあまり言いません。偏狭な中国嫌いがトンデモだとわかる人はスルーします。

しかし、藤井教授のコロナ軽視論は、平時のように経済を回せば良いとするものですから、COVID-19を怖がりたくない多くの人々には心強い。経済を回せば良いとする主張は正確な財政知識を持たない大多数の人に「その通り」と響きます。制限措置に触れませんから、私権制限を嫌うリベラルな人も賛同しやすい。これが、政府の楽観論や緊縮政策と結果的に一致してしまうのが、大変深刻なのです。財政拡大路線への転換をできなくさせ、経済を回せば感染拡大を起こす負のループから脱却できなくさせた。

国民的な大被害を見舞った大罪と言えます。加えて、日本人の伝統的な常識とつながる「自粛」を否定したことは、将来的に取り返しがつかない深刻な被害を見舞うでしょう。

 

藤井教授は、東京五輪にはぼやかした言い方しかしていません。

風邪と変わらないコロナでイベント中止することに怒っていた藤井教授は、ロックイベントでマスクをせずに「Woo Yeah!」と叫んでだくらいです。観客をフルに入れて開催できると主張するのが自然ですが、「五輪は平常の通り開催せよ!」とは言わない。「五輪開催に賛成」とも言ってないでしょう?。五輪開催に賛成すれば反発を食らうのがわかっているからですよ。

五輪関係者への特別待遇にダブルスタンダードだと怒って見せたり、最新では小山田圭吾氏の問題を利用して、自粛や緊急事態宣言(をする政府)を敵視して論点をずらす。自説に都合良く誘導しているわけで、これはおぞましいダブルスタンダードを超える下劣な態度ではないかと思う。

 

藤井教授は、初期から「コロナは風邪や季節性インフルエンザと変わらない」「基礎疾患のある高齢者のコロナ死は寿命と変わらない」「若者は重症化しないから自粛せず経済を回して良い」「感染症の扱いを5類に格下げせよ」「コロナ(ウイルス)なんて飲んでも平気」と言ってきましたが、現実の状況変化で通用しなくなったのを受け止められず、自説の正しさを主張するために好都合なデータの見方や用語を創作し、次々現実と乖離した理屈を塗り重ねた。基本的な認識がおかしな言論人でも「コロナでは意見が合う」からと三浦瑠麗氏や武田邦彦氏ら(ネトウヨ的な論者)と協働するに至った。

自分を批判する中野剛志氏、佐藤健志氏、適菜収氏は「コロナ脳のバカ」と悪口雑言し、自粛要請や感染対策を述べる感染症対策分科会や政府を敵視する。

この背景には、内閣官房参与として国土強靭化基本法成立に尽力し、年約3兆円の安定予算をつけさせた「成功体験」があるのだろう(確かに立派な功績ですが)。異論者への雑言には「何もできてない連中のくせに」という上から目線が透けて見える。そんな物言いが賛同者には「天晴」に感じられるのでしょう。

まさしく、(悪しき)認識共同体、集団浅慮、センメルヴェイス反射の全部乗せです。

 

このような人が知識人としてフォロワーを増やし発言力を拡大しているとすれば、感染拡大初期の危機感を超える嫌な予感しかありません。

 

 

6月16日

 

 

藤井教授はどこで道を踏み外したのだろう。

成功体験を誤って認識し、勝敗にこだわって自論にしがみつく下地が最初からあったのか、それとも参与時代に不条理に直面したトラウマと成功体験による「引き裂かれた自己」(R.D.レイン)に陥ったのか、…わかりません。日本経済を立て直すために重要な論者だったのは確かですが、もはや害のほうが大きいと言わざるを得ない。もはや、藤井教授が発言を改めるとは思えません。自民党主流派や維新の会が方針が改めると思えないのと同じです。被害を最小化するには、離れる人を増やすことです。

 

そうだね、アヒルちゃん。外のことと内のことを切り離さずに、対話させながら考えていくのが大切なんだろうね。

 

 

かねてより繰り返し書いていますが、藤井批判やコロナ問題に固執してるのではありませんよ。

日本の歴史観や経済政策でも同様に、ある時代や状況に正しいと思えても、常に正しいわけではないということを思い知ること。自分も間違えるということを自覚して、間違いを認めて転換することの重要性を痛感すること。

この厳しいコロナ禍を、今後の日本のために必要な姿勢を、ものの見方を、考え方を、自分に問うための機会とする必要があります。

問うことから逃げれば、同じ失敗を繰り返します。

 

「思想の免疫力」を高めましょう。

 

 

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