アルバム「その永遠の一秒に」収録。
「初秋」というロバート・B・パーカーの小説もありますが、
それは関係なくて、
「誰がために鐘は鳴る」の最後が「夏の終わり」ですよね。
それからつながってるんです。
夏というのは、人生の夏。
人生の夏が僕にとって終わりを告げ、そして秋が来たという
ーそういう気持ちでタイトルを付けたんです。
ライブの時の映像は、兵士が戦場から離れて、自分の故郷の恋人の待つ家に向かって帰っていくというイメージ。
(1991年に)内戦が始まったユーゴスラビアの冬のイメージですね。
歌を作ったきっかけがそうだったから。
恋人のもとに向かって戻っていく。
最初は疲れているんだけど、
最後は力強く辿り着くんだってイメージです。
(省吾さん談)
ラブソングというのはいつも対象が恋人であると思うかもしれないけど、誰かの事を愛すると言ったときに、
その対象は親かもしれないし夫や妻かもしれない、
兄弟や子供かもしれない。
例えば「初秋」の「僕の名を呼ぶ声も 僕の手にふれるぬくもりも はかなくて 愛しい」というのを、
もし自分の最愛の娘や息子に例えたら、そのリアリティはまた、
全然違うものになると思うんですよね。
そして、最愛の人を愛する喜びの一方で、
同時に切なさや痛みがあるじゃないですか。
それは一体何だろうと考えると、「この喜びは永遠には続かないんだ」という想いなんじゃないか、と。
どんなに美しい瞬間も、どんな愛も永遠には続かないんだという事を、みんなやっぱり知っている。
だからこそ、その瞬間に感動するんだと思うんです。
誰かを愛するという事はそういう事なんだと思うんですね。
だから今回のアルバムのテーマは、「死」や「別れ」ではなくて、
何十億という人がいるなかで偶然出会って、
恋人になったり親子になったり夫婦になったりするんだという事。
そしてそれは永遠に続かないということ。
だから大切なんだということ。
それがテーマなのかと思います。
それは人生の「初秋」が来たり、
近づいていくという時期じゃないと感じられないのかもしれない。
(アルバム「初秋」リリース時のインタビューより)
省吾さんのこの言葉を読んで真っ先に浮かんだのが「愛しい人へ」。
初めて聴いた時の印象が、
「これは自分の子供に向けての歌なのかな」だったから。
2番以降の「愛しい人」は完全に恋愛対象なんだけど、
そういう捉え方もアリなのかと思う。
曲の長さが影響してるのか、
ファンクラブイベント以外ではセトリに入る事が少ない、
この「究極のラブソング」。
発表した時、省吾さんはまだ40歳。
とても成熟した歌詞の内容に驚かされる。