同名シングル盤A面。アルバム「君が人生の時・・・」収録。
「風を感じて」は色んなエピソードがあるんですけど、
その頃はCMソングがヒット曲のきっかけだった時代なんです。
僕が最初に受けた話はいっぱいあった。いっぱいデモ・テープを録ったんです。
松崎しげるさんで大ヒットした曲ありますよね。「愛のメモリー」って曲。
あのCMも最初にやったのは僕で、ボツって彼のところに行ってヒットした。(笑)
次にコーセーのCMのデモ・テープでボツって、
その頃はCMソングがヒット曲のきっかけだった時代なんです。
僕が最初に受けた話はいっぱいあった。いっぱいデモ・テープを録ったんです。
松崎しげるさんで大ヒットした曲ありますよね。「愛のメモリー」って曲。
あのCMも最初にやったのは僕で、ボツって彼のところに行ってヒットした。(笑)
次にコーセーのCMのデモ・テープでボツって、
山本達彦君の最初の大ヒットになるんです。
そういう事が5回くらい続いた。
その度にレコーディングは中断するわ、ツアーは中止になるわで、
コケて代わった曲が大ヒットする。(笑)
もう頭に来て、バカヤロー、2度とCMなんてやらない。
最後の「バカヤロー」の前に来た話がこれ。
イージーな食べ物だから、イージーって言葉はあったんだけど、
そういう事が5回くらい続いた。
その度にレコーディングは中断するわ、ツアーは中止になるわで、
コケて代わった曲が大ヒットする。(笑)
もう頭に来て、バカヤロー、2度とCMなんてやらない。
最後の「バカヤロー」の前に来た話がこれ。
イージーな食べ物だから、イージーって言葉はあったんだけど、
注文はそれだけで。でもCMソングは嫌だから詞は誰か他の人にしてくれって。
最初は三浦さん(徳子 作詞家)の詞があったんだけど、殆ど変えちゃって。
流れたら結果的にその頃の代表曲になってしまった。
ヒットしたっていったって、15位くらいです。
でも、僕の曲の中では、
最初は三浦さん(徳子 作詞家)の詞があったんだけど、殆ど変えちゃって。
流れたら結果的にその頃の代表曲になってしまった。
ヒットしたっていったって、15位くらいです。
でも、僕の曲の中では、
(「悲しみは雪のように」以前の)唯一のヒットシングルですよね。
いわずと知れた、日清カップヌードルのCMソング。
「夜のヒットスタジオ」に2回、提供の日清食品の関係で、
「夜のヒットスタジオ」に2回、提供の日清食品の関係で、
「ヤング・オーオー」に3回、TV出演している。
NHKのいくつかの「TVプログラム」や、
NHKのいくつかの「TVプログラム」や、
「ハローヤング」「Fighting 80'S」などのライブ番組を除けば、
純粋な意味でのTV出演は、これのみである。
純粋な意味でのTV出演は、これのみである。
「夜ヒット」の初回には、
吉村真理さんに「浜田くん、サングラスは取らないの?」とイジられたり、
2度目の出演では、
2度目の出演では、
周りを走り回る、ローラースケートを履いた女の子が気になって歌詞を間違えそうになったとか、
とにかく嫌な思い出しか無かったみたいだ。
とにかく嫌な思い出しか無かったみたいだ。
「本当は、自由に生きていく方法なんて100通りもないし、
そんなに簡単はことでもないんだよね」省吾談
最近では、「ON THE ROAD 2011」での歌唱が印象深いが、
80年代に入ってからは、そんなにセットリストに入っていない。
(「ON THE ROAD” FILMS”」で海の中道の映像が少し収録されてるが)
「風を感じて」の浜田省吾というイメージを嫌ったのかもしれないけれど、
この曲がスマッシュ・ヒットした事はやはり貴重だった。
以後、省吾は悟ったかのように、栄光の80年代を迎える事になる。
80年代に入ってからは、そんなにセットリストに入っていない。
(「ON THE ROAD” FILMS”」で海の中道の映像が少し収録されてるが)
「風を感じて」の浜田省吾というイメージを嫌ったのかもしれないけれど、
この曲がスマッシュ・ヒットした事はやはり貴重だった。
以後、省吾は悟ったかのように、栄光の80年代を迎える事になる。
ところでその「夜のヒットスタジオ」、メドレーでの曲紹介の場面、
アグネスが省吾の「風を感じて」を歌い、
アグネスが省吾の「風を感じて」を歌い、
省吾が宮本典子さんの「エピローグ」を歌ったのだが、
2回目の出演の時は誰が紹介して、そして省吾は誰の曲を歌って紹介したのだろう?
2回目の出演の時は誰が紹介して、そして省吾は誰の曲を歌って紹介したのだろう?
知ってる方がいらしたら教えて頂きたいです。