まずは今回の震災で被災された方々に、心からお見舞を申し上げます。
僕は息子の「引越し」で仙台でその時を迎えて、
そして先ほど、「無事」帰って来ました。
・・・いつも「無事」という言葉を使いますが、
今回ほどこの言葉が真実味を帯びた事は無いでしょうね。
「引越し」そのものは「12日」の予定だったのですが、
前日の「11日」に仙台入りして、小さい荷物だけ運ぼうとして、
今まさに、「出発」という特に強い揺れが起こったんです。
すぐに家族みんなで、近くの駐車場まで避難しました。
もの凄い横揺れは暫く続きましたね。
本当に時間が止まったかのようでした。
本当に「不幸中の幸い」だったんでしょうね。
息子の引越先は、「塩釜」ですから、
運転中等に、「津波」に巻き込まれた可能性はかなり高かったんです。
でもその時はまだこんなに大規模な地震とは思ってなかったんです。
確かにTVやプレステ等は落下して散乱してましたが、
その時点では水も出ましたし、停電についても、
「明日あたりまでは復旧するかな」などと、
かなりタカをくくってたと思います。
実際、その後に「塩釜」まで車で行こうとしたんですよ。
でも信号も消えてるし、何より車が進まないので、
諦めて引き返したんです。
夕方になっても「余震」は収まらず、
情報も中々入って来ないので、
息子の大学に、一緒に避難いたしました。
そこで初めて、「観測史上最大規模」の地震だった事を聞き、
本当に驚きました。
初めて「炊き出し」というものを経験して、
「避難所生活」も体験しました。
でも家族3人一緒でしたから、
ある意味秋田でヤキモキしてるより、良かったかもしれません。
相変わらず「ライフライン」は寸断されたままで。
「東北新幹線」は運転中止、
「東北自動車道」も不通のままだったのですが、
今日(13日)になって「一部GS」が営業を始めたというので、
「山形回り」で帰ってきました。
仙台ではまだ信号機もまばらで、
空いてる「GS」も殆ど無かったんですが、
山形に入ると全く景色が一変しましたね。
横手のショッピングセンターでは、
まだ「全館OP」とまではいかないものの、
スーパーや飲食店、かなりの数開いていて、
露天のように店を出してる仙台とは全く違ってました。
自宅に帰ってTVを付けると、何処のチャンネルもこの話題で、
改めて震災の恐ろしさを目の当たりにしました。
僕ら自身は、大きな被災地から結果的に
「逃げて来た」形になってますが、
まだそちらで頑張ってる方々がいらっしゃいます。
頑張ってる方々に「頑張って」とは言いにくいので、
どうかこれ以上の震災の被害者が増えないように祈るばかりです。