ソクラテスは
『自分が知っている事は、ただ1つしかない。
それは「自分は無知だ」という事。
それだけは知ってる。』
と仰ったそうです。
お釈迦様(ブッタ)は
『私が知っている事はこのガンジス川の砂粒1つに過ぎない。』
と仰っていたそうです。
砂粒一つて、どんだけ〜
真実や理り、リアルを知れば知るほどその広大さに衝撃を受けて、自然と謙虚になるのかも知れませんね。神秘だもんね。
瞑想やヨガに関しても『自分は達成した』という思い込みこそ溶けて無くなってしまったら良いのです。
または
悟って特別になりたい!(私は平凡でつまらない人間)
まだ悟れてない!(だから不幸なんだ悟ったら変わるはずだ)
有名になって注目されたい!(注目されると愛されてる気がする)
修行が足りない!(だから不幸せ、でも修行したらきっと。。)
今の自分ではダメ!(理想の自分になれば俺だってみんなに愛されるし自分を認められるはずだ)
などなどなど、、重ーい想いも丸々全て溶けてしまったらどうでしょう?
それらが薄れ、その後にひとりでに訪れてくれるもの。それを体感すると全てが勝手に変わると思います。
今日、この藤本さきこさんの記事を読んで「無知の知」の大切さを思い出しました。
また^ ^