5月22日から24日まで岡山国際サーキットに出かけてまいりました。
スーパーフォーミュラ第2戦。通常のお仕事はBSフジの構成監修でありますが、
もう一つスカパー4Kチャンネルで放送の特別番組制作チームも現場入り。
私はそれを手伝うため、4Kチームと行動を共にしました。
4Kとは、ハイビジョンの4倍高精彩のテレビ方式で、2020年の東京五輪の頃は常識というか、
五輪の頃は8Kも見られる、いわゆる未来のテレビです。
岡山国際サーキットは思い出深い場所で、1994年のF1で初めて来ました。
実際は出来上がったばかりの時に森脇基恭さん、中嶋悟さんたちと下見にも来ました。
ここで走ったアイルトン・セナが2週間後、イタリア、イモラで亡くなるわけです。
そして今回、連休に星野一義さんの義弟で株式会社インパル副社長の金子豊氏が亡くなり、
レーサーの松本恵二さんもこの世を去り、レース界は寂しいムードに包まれていました。
私は仕事の関係で葬儀に行けず、関係する人々にお悔やみを言わなくてはならない旅でした。
金曜日は、4Kの番組で小林可夢偉選手にインタビュー。
さらにTOMSの東條力エンジニアにインタビュー。
土曜フリー走行は、可夢偉と中嶋大祐とロッテラーに4Kカメラを積んでもらいました。
時間のあいた時、関谷正徳さんと、我々世代はこれからどう生きて、どう死ねばいいのか?
そんな人生論というか、ちょうど故小河等さんの命日で、またしんみり。
さて、1994年ここでやったF1グランプリで、セナが1周でリタイヤし、呆然としていました。
フジテレビカメラが撮影した映像を基に作られた「セナ追悼トレーナー」があります。
今回はそれを持参し、思い出に浸ると共に、セナに今の岡山を見てほしかった。
(向こうではTOMSの舘会長が仕事中です)
一方、国内のレース関係者は金子豊氏と松本恵二さんの追悼に、
心を砕いており、とりわけ松本さんのカーナンバー8をつけて走ろうという気運になり、
準備が進みます。
可夢偉選手が、記者会見をやるのでチーム・ルマンのテントに行くと、
恵二さんのミニ祭壇が祀られてあり、私は深々とこうべを垂れて亡き恵二さんの冥福を祈りました。
さて4Kのカメラは、コースに大きいカメラ3台、ピットに3台。さらに小さなアクションカム12台を
あれこれちりばめ、撮影を進めます。
で、4Kの車載映像を見た小林可夢偉も、或いは舘信秀トムス会長も
みんな映像のとりこになってしまいました。
アンドレ・ロッテラーは自分の日曜フリー走行中のスタート練習の映像を
何度も確認しながら、本番に備えます。(テレビのことより自分の作戦ツールになってしまい)
そのアンドレにインタビューと映像の説明もしました。
あまりこれまで英語使いを吹聴してこなかったのですが、一応喋れます(汗)
テレビ中継をまとめた優秀なクリエイターです)
優秀な友人飯沢さんと、昼の休憩は、M-TECさん(無限)の
N-ONEレースのホスピタリティでコーヒータイム。
将来4Kのアクションカムを使ってスクールや、練習の可能性も話ました。
さて、日曜日決勝前。
プラットフォーム(ウオール)にいる星野一義さんを発見。
不義理を謝り、お悔やみを言い、手を握りつつ目で見て語り合うと、
涙が溢れてきました。
大昔、美祢で星野さんがクラッシュして頭を打ち、金子さんが血相変えて、
星野さんをメディカルセンターへ運んだシーンがフラッシュバックして涙止まらず。
それでも星野さんは「3年間名医に見てもらい頑張った、もう悲しみを通り越している。
チームはしっかりしてきた。レースが一番」と気丈で、時に冗談も言い、笑ってその場を離れました。
決勝レースは石浦選手のポール・ツー・ウイン。
素晴らしいの一言。ノーミスでした。可夢偉も100%で追いましたが届かず2位。
良いレースを見られて幸せでした。
おめでとう石浦選手。
さまざま鎮魂の心が交錯し、いろいろな人の思いで暖かくなれた岡山。
心に沁みた初夏の思い出であります。
あーそうそう、津山のホテルでチェックアウトの時ひいたクジ。
高橋二朗は飴玉だった。私は1等賞、5000円のホテル券(バンザーイ)