はじめに
夏休みも最終盤になってきました。
連日暑い日々が続いていますが、今日も淡々と更新します。
今回は、No. 50の投稿についてです。この投稿でも自閉症者と英語学習者には、ある種の共通点があるといったことを述べました。今回は、どのようなところが?ということを少し書きたいと思います。
では早速、始めていきましょう!
SSTと L2 pragmatics
No. 50の投稿で、自閉症者はことばの社会的機能への理解が難しいといったことを述べました。それゆえに、とても直接的な言い方をしてしまったり、腕を引っ張るなど身体的に訴えかけるといったコミュニケーションの様式をとることがあります。
これはこれで、「自閉症者のコミュニケーションスタイルなのだ」と肯定的に捉える考え方もあるようですが、問題は本人(や周りの人)の「困り度」だと思います。もしこのような特性ゆえに社会生活に支障をきたしているのなら、やはりそれは対処していきたいですよね。
その一つの方法として、Social Skills Training (SST) とよばれる支援法があります。
僕は支援者ではないので詳しい事はわかりませんが、障害者の支援に従事する姉から聞く話と藤野 (2023)の内容をまとめると、以下のようになります。
SST
- インストラクション(明示的に必要なことを教える)
- モデリング(先生の見本やドラマ、映画などを見て、ワークシートを使って理解を深める)
- リハーサル(ロールプレイなど、実践してみる)
- フィードバック(実戦に対するコメント、ポジティブなものが良い)
- 般化(他の場面への応用)
おわりに
「健常者と障害者を隔てるものってなんなんだろう?」
先ほど書いた問いですが、僕がこの問いに行き着くことができたのは、英語(そして、その教育法)をしっかりと学んできたからです(もっというと、そういうことを学べる、教えてくれる環境に身を置けたからですね)。
こういうことこそ、AIがますます発達するであろう現代で英語を学ぶ意義だと僕は強く思います。
そういった人の心に存在する「垣根」を取っ払うこと。
それがあって初めて、多様性のある社会の実現に向かっていけるのではないでしょうか(そしてそれは、理論上「誰も傷つかない」英語学習・教育にもつながっていくでしょう)。
話は大きくなりましたが、世界の英語学習・教育はもうここまできております。
偉そうで恐縮ですが、英語学習者の方々も英語教育者のみなさまも、この事は頭の片隅に入れておいていただけると幸いです。
参考文献
藤野博 (2023). 『自閉症のある子どもへの言語・コミュニケーションの指導と支援』明治図書.
Ishihara, N. & Cohen, A. D. (2022). Teaching and learning pragmatics: Where language and culture meet. (2nd ed.). Routledge.