はじめに

前回の投稿では、Singlishに見られるtranslanguagingについて書きました。

 

そしてその投稿を書きながら気づいたのですが、「世界の英語 (World Englishes: WE」との出会いについて書いた方が、ブログの内容をよく理解してもらえるかもしれない!と思い、今回はそれについて書くことにしました。

 

この投稿を読むことで、WEについて理解を少しでも深め、そして自身の英語との関わり方について振り返っていただければ幸いです^ ^

 

  ぼくのWEとの出会い

まず「世界の英語 (World Englishes: WE」について簡単に書くと、それは「世界にはたくさんの英語種があるのだから、その多様性を認めていこうという動き」といえると思います。そして特徴的なのは、Englishが複数形になっていることです。通常、言語の名前は固有名詞として複数形にはしませんが、あえてそうすることで英語種の多様性を表しているのです。

これがWEの非常に簡単な説明です。

 

さて、僕自身のWEとの関わりについていうと、大きくわけて3つの大きな経験があったと思っていますが、いずれも大学時代に経験したものです。大学時代に知れてよかった!と思う一方で、中高時代に出会っていれば僕の英語学習は大きく変わっていただろうなとも思っています。ではその3つの経験について、以下に簡単に書いてみようと思います。

 

留学

大学2年生の後期に、大学のプログラムの一環でアメリカへ留学に行きました。アメリカといういわゆるinner circleの国に英語を学びに行ったのですが、実態は大学の学部に入学したい学生のためのESLのクラスだったため、世界各国からきた生徒が集まる教室で英語を学びました。

そうすると当然、WEに出会うことになります。まずは、日本の留学経験者の多くがいうように、「他国の生徒の方が話せる」を直に経験しました。とても焦ったものです。

しかし他国の学生の英語をよくよく聞いていると、「話せているけど全然正確じゃない!」と気づいたのです。流暢に話す中国人の友達は発音がかなり中国語っぽかったり、韓国人の友達(年配の方)はとても英語が上手なのに"example"を「イグジャンプル」といっていたり、アフリカ出身の流暢なお姉さん方はペーパーテストをさほど得意としていなかったり。

でも彼らは全然気にしないし、どんどん積極的に英語を話していました。そして実際に通じてしまっている。「なんだ、自分(や多くの日本人)が正確性を気にし過ぎなだけなんだ」と気づいた時、僕は英語を積極的に話せるようになりました。

 

これが明確にWEを体感した最初の経験だったと思います。これを経験できたのは、英語学習者としても指導者としてもよかったのですが、中高時代に出会っていたなら、もっと自分の英語に自信を持てたのではないかと思います

 

「世界の英語」について学ぶ大学の授業

留学から帰ってきた直後である大学3年の春セメスターに、「世界の英語」について学べる授業があったので取りました。教職課程の選択科目の一つでもあったのでとってみたのですが、これは自分に「ハマる」感覚があった授業でした。

主にアジアの英語について学んでいく授業だったのですが、英語の多様性についてより深く知るきっかけになりました。留学で知り合った人はあくまで自分の「経験サンプル」でしかないわけですが、授業として学ぶことで体系的に英語の多様性を知ることになりました。

 

留学に行くまでは日本で英語を学んでいた僕ですが、特に洋楽や洋画に興味があったわけでもなかったし、今の時代のようにYoutubeでなんでもみられる時代でもなかったので、聞く「英語」といえば教科書や英検から流れてくるものだけでした。そしてそこで得られたサンプルは、「ネイティブ=正確」というとても歪んだ言語観を僕に植え付けたのでした。

 

ことばがアイデンティティに関係している」という、今の自分にも通ずるテーマに気づいたのもこの頃だったと思います。自分の言語観、英語観に大きな影響を与えてくれた授業でした。

 

ホテルでのアルバイト

短期留学で身につけた英語力をなんとか日本でキープする方法を考えた僕は、周囲のアドバイスもあって東京のホテルのフロントでアルバイトを始めました。お客さんの7割近くが外国人という状況だったこともあり、働いてお金を稼ぎながら英語を学べる(普通は学ぶ人がお金を払うものですが)環境を手に入れました。

 

ホテルでのバイトでは同じ人が何泊もすることもあり、関係性が徐々にできてくるのでとても面白かったし、いろいろな文脈で英語を使わないといけないのでチャレンジングでした。いわゆるネイティブの人の高速英語を直接あるいは電話で聞き取らなければいけなかったり、英語がほぼ話せない老夫婦とも会話をしなければなりませんでした。

いろんな国から来るお客さんとの会話は基本的に英語で、自分が「上級者」として英語を話さなければならない経験もしました。いうまでもなくその頃の僕の英語は「完璧」から程遠く、たくさんのエラーをしながら会話をしていたと思いますが、それでもしっかりと通じさせて、多くの人の思い出作りに貢献できたのはとてもいい経験でした。

 

英語って、コミュニケーションのツールなんだから、別に完璧じゃなくていいし、いろいろな英語があるのが自然だしそれでいいじゃん

心からそう思えるような経験を与えてくれました。(今は少し考えが変わったところもありますが)

 

  おわりに

「留学」「大学の授業」「ホテルでのアルバイト」を通じて、僕は「世界の英語 (WE)」を肌で感じることができました。

これらの経験は、英語の「正確性」ばかりを重視する指導法はおかしいということ、そして、ことばとアイデンティティは密接な関係があるという僕の信念の基礎となりました

このような経験を大学でできたのは幸運だったようで、もっと早くできたらよかったと思わざるを得ません。だから僕は、指導者として中高生へと伝えていきたいと思います。ぜひ指導者の方々には伝えてもらえたらと思います。

 

そしてWEは、前回の投稿でも書いたように、translanguagingともしっかりとした結びつきがありますだからこそ僕はtranslanguagingに興味を持ち、その可能性をいかして「誰も傷つかない英語学習・教育」を追求していきたいのです。

 

時には自分の過去を振り返って、自分の信念の根っこにあるものを確認してみるのも楽しいものですね。