「旅」の理由を探して -3ページ目

近くにあるけど、気付かない。

遠くに行くばかりが、旅ではない。


私の好きな作家(旅行家)、宮脇俊三氏の言葉である。
前にも書いたが、「日常性」から離れることを「旅」とするならば
正しい言葉であると思う。


私は氏のように、鶴見線の海芝浦駅で「旅」を感じるほどの域には
達していないのだが、それなりに近場で「旅」を感じた場所を今年の
春に思いもかけず見つけることが出来た。


秩父鉄道の終点、三峰口駅。


訪れるつもりは当初はまったくなかった。
乗り換えを重ねているうちに、「そういえば三峰口までは行っていないな」と
ふと思い、今回の目的地として向かうことにしたぐらいの軽い気持ちである。


三峰口駅に到着したのは14時半過ぎだったであろうか。
日曜日ではあったが、着いた時間も時間であり、なおかつまだ春の足音は
聞こえてこないシーズンオフ。駅前にほとんど人影はなかった。
駅前をなんとなく歩いてみる。
山の冷たい空気で身体も冷え、また空腹感を覚えたので駅前の蕎麦屋に入る。


通されたのは土間であった。
昼飯時は完全に外れており、他に客は居らず、とても静か。
聞こえてくるのは柱時計の音と、ストーブの上のヤカンの音だけ。
そんな時間の中に身をゆだねていると、何か胸の奥で不思議な疼きを感じた。


これは「旅」ではないのか。
関東地方でしかも一都三県なのに、この非日常性。
思わず頼むつもりもない日本酒を。
味噌田楽をアテにして呑む酒は、旨かった。




近くにも素晴らしいところはまだある、はず。
時間を見つけて、訪れてみようと思う。



2009年5月19日  羽田空港

2009年5月19日(火)、午前11時30分。
明け方は晴れており、茜色の美しい朝焼けが広がっていたが、雲が広がってきた。


東京の空の玄関口、羽田。


ある人にとっては、旅の始まりの地点。
またある人にとっては、目的地への最終中継基地。
だが、私にとっては仕事場であり、単なる通過点であるという気持ちが強い。


今、私は日本各地の空港で仕事をしている。
当然、羽田空港もその中の一つであり、出張というと羽田から飛び立つこと
が多い。
また、前職で羽田空港に1年間居たことがあるせいか、なおさら旅の心地が
沸くようなところでないのかもしれない。


改札口の脇のコーヒー店でコーヒーを飲みながら、行きかう人々を眺める。
正直なところ、私は人込みが大の苦手である。
特に用事がなければ、都内には近づかないようにしている。
人の流れにあわせて歩くということが大嫌いである。


だが、客観的に人々を眺めるのは好きだ。
以前接客業をしていたせいか、無意識のうちに表情からその人の心境を推し量ろうと
する癖がある。
どこに向かうか知らないが、使命感を持って早足で歩くサラリーマン。
おそらく旅行にいくのであろう、楽しげに連れと会話をしながらゆっくりと歩く
若い男女。
これから仕事なのであろう、キャビンアテンダントと思しき女性。


さて、家に帰ろう。
次はどこへ出かけようか。


2009年5月18日 長野

2009年5月18日(月)。


昨日の鉛色の空とはうって変わり、見事なまでの五月晴れ。
雨が埃を洗い流したのだろうか。


昨日の深酒を呪いながら、宿を出て善光寺の表参道へ。
昔から好きな蕎麦屋があり、そこで一憩。


長野駅へ向かい、松代行きのバスに乗る。
千曲川に架かる手前のバス停で降り、川沿いへと歩を進める。
北アルプスの山々が白銀に輝き、手前の山の緑がさらにそれを引き立てている。


千曲川の土手のすぐ脇に、古びた寺がある。
典厩寺。
武田信玄の実弟である、典厩信繁公の墓がこの寺にある。


観光客もあまりいない、静かなたたずまいの境内に足を踏み入れる。
目指す典厩信繁公の墓はすぐにわかった。
1メートル80ほどの石に刻まれた文字が読みづらくなっており、
それが時代の流れを感じさせる。


境内を一回りすると、「ぼけ封じの石」なるものがあった。
最近物忘れが気になりだしているので、石をさわった手で自分の頭を
撫でる。
その横に、「縁起もの大燈籠」と説明板に書かれた大きな燈籠がある。
燈籠の中ほどに十二支が彫られており、土台には二匹のカエルがいる。
説明板には、こう書かれてあった。


十二支とカエルを触って
一、若かえる(健康長寿)
一、旅かえる(交通安全)
一、宝かえる(金運招福)


俗物の塊である私が触りまくったのは言うまでもない。



さて、関東に戻ろうと思う。
千曲川に架かる橋を渡り、インターチェンジ手前の高速バス停へ。
片側2車線の道路を、ひっきりなしに善光寺に向かうと思われる観光バス
が通りすぎていく。
川を渡るさわやかな風に吹かれながら、新型インフルエンザの患者数が
二次曲線的に増えているなか、つくづく日本人は楽天的な民族なのだな、
などと考えていた。


人の事を言える義理ではないのだが。