ラグーンドライブでの撮影会を終え、次の見学場所へやって来ました。
マイクロバスで走ること15分ほどで到着したのは・・・
パールハーバービジターセンターです!
日本人には馴染み深いこの場所は、オアフ島における有名観光スポットのひとつになっています。
入場すると、まずは日本語の音声ガイドをレンタルして、その後しばらく自由行動になりました。
キレイに整備された公園ですね。
あの橋は後で渡ります。
向こうに見える施設へも、後ほど訪問します。
メチャメチャ暑いのは、さっきまでいたラグーンドライブと同じなのですが、緑の芝や木々があるので気分的に少し楽ですね(´▽`*)
とりあえず「戦争への道」と題された展示館へ入ってみましょう。
音声ガイドを聴きながらの見学です。
色んな意味で、胸が痛みます。
真珠湾攻撃によって沈んだ、戦艦アリゾナの現状を表した模型です。
青い空と青い海、ビーチリゾートのハワイというイメージとは違う、別の顔のハワイがここにはあります。
潜水艦も展示されていますが、今日は見学する時間はなさそうです。
この手の施設においては、犠牲になった人々への追悼がメインになるのは万国共通ですね。
1時間ほどの自由行動を終え、今度はこのシャトルバスに乗って、さっき見えた橋(フォード・アイランド橋)を渡り、フォード島へ向かいます。
フォード島にはアメリカ海軍の施設があるため、フォード・アイランド橋は一般車両は通行禁止、バスを降りるまでは撮影禁止、手荷物の持ち込みも禁止になっています。
フォード島へ到着してバスを降りると、目の前には巨大な戦艦が!
記念館として公開されてる戦艦ミズーリです。
今日の見学コースに含まれているので、皆でエントランスへ向かいます。
1945年9月2日、東京湾に停泊中だったこのミズーリの甲板上で、日本の降伏文書調印式が行われました。
階段を上がり、ブリッジを渡って艦内へインします。
ここでは日本人の専門ガイドさんの引率で、分かりやすい解説を聴きながらの見学です。
星の数が31個の星条旗。
この丸いプレートの場所が、降伏文書に署名した場所なんだそうです。
降伏文書のコピーが展示されていました。
調印式の写真も。
何百名(何千名?)もの敵兵が待つ艦に、わずか11名で乗り込んだ日本代表。
生きて帰れるか分からない覚悟を持って臨んだのだとか。
今回のハワイツアーに参加していなければ、知らないままだった話です。
ミズーリの後方甲板はイベントスペースになっていて、ちょうどセーラールックの軍人さん(?)たちが参加の式典が行われていました。
このミズーリには戦時中、神風特攻隊のゼロ戦が突っ込んできたそうで、船体の外側、少し曲がっている所(黄色の矢印)が、ゼロ戦の激突した箇所とのことです。
大勢の観光客が訪れていますが、ワイキキビーチなんかに比べると、さっきのビジターセンターを含め、日本人の姿は極めて少ないです。
あの白い建物が、沈んだ戦艦アリゾナの上に造られた、アリゾナ記念館になります。
かなり駆け足での見学でしたが、興味深い話をたくさん聞かせてもらい、個人的にはとても有意義な見学でした。
そろそろバス乗り場へ戻る時間です。
甲板の上をぐるっと歩いただけで、艦の内部はほとんど見ることが出来なかったので、これまた次回、訪問したいですね。
外へ出ると、入口で強制撮影された記念写真のプリントが販売されていました。
この手の商法は、どこも同じなんですな。。。(´Д`;
いかにもアメリカンな・・・と言うか、大瀧詠一のナイアガラレコードのジャケット写真みたいなモニュメントですね(*´◇`*)
顔出しパネルもアメリカン。
バス乗り場へ戻って来ました。
再びバスに乗って向かったのは・・・
フォード島のさらに奥にある、パールハーバー太平洋航空博物館です!
ここも先程の戦艦ミズーリと同じく、入場料はツアーに含まれているので、そのまま入場します。
入るとすぐ、古き良き時代のハワイをイメージしたイラストに遭遇。
こちらにはピンクのロイヤル・ハワイアン・ホテルも描かれています。
ここでは航空博物館の担当の方が、ガイド役を務めてくださいます。
展示されているのは、太平洋戦争当時の軍用機が中心。
このジオラマの中の残骸は、1941年12月7日の真珠湾攻撃後にニイハウ島へ不時着し、その後焼却されたゼロ戦の本物の残骸で、この機体を復元したのが、2つ前の写真のゼロ戦です。
この展示館は当時の爆撃を逃れた、水上機の格納庫37だった場所なんだそうです。
この機体に描かれているユーモラスなサメの顔は、航空博物館グッズなどに頻繁に登場します(*´◇`*)
ざっとこれで、格納庫37での見学は終了。
表へ出ると目の前に、ここに滑走路があった時代に管制塔だった建物がありました。
では、隣の格納庫へ移動します。
~その8~【パールハーバー観光・後編】につづく。。。