2回目の逮捕 3日目(釈放後、検察→警察署) | 元盗撮男の懺悔日記

元盗撮男の懺悔日記

盗撮で前科2犯となったダメ男の
再犯防止のための懺悔、
そして辞めたくても辞められなくて苦しんでいる盗撮犯が少しでも思いとどまってくれることを願っての
ブログです。

I刑事に先導され、

今朝同行室の建物に入ったルートとは真逆のルートで外に出ました。

 

興奮状態であったため、

ただ無心に刑事の後を付いていくだけでした。

 

建物を出て駐車場の車に行く途中、

「絶対に実刑だと思っていました。

検事は全然いう事聞いてくれないし。」

と私が刑事に言うと、

「そうなの?でも、まだ終わってないよ」

と返ってきました。

 

この時私は、

自分がいまどういう状況なのか把握できていませんでした。

「ただ、釈放されただけ」

という事しか分かっておらず、

在宅事件に切り替わっただけで、在宅事件がどういうものなのか

という事も分かっていませんでした。

 

自分の置かれた状況、これからの流れについては

車の中で聞かされましたが、警察署に帰ってから、正式に丁寧に教えてもらえました。

 

車の中には、F刑事という、おそらくこの時初めて会う刑事が座っており、

I刑事の運転で3名で警察署に帰ることになりました。

 

被疑者ではありますが、法的に拘束されている人間ではなくなったため、

急に刑事の態度も柔らかくなり、

車もパトカーや護送車ではなく、一般の乗用車でした。

 

いつも通りなれた道を、車は走って行きました。

 

今朝、護送車から見た見慣れた景色は、

窓ガラス1枚隔てて遠い世界のように見えましたが、

この時には現実の世界として受け入れること出来ました。

 

車の中でも事件の事を聞かれましたが、

具体的な取り調べはまた後日です。

 

しかし、恐れていた事を言われました。

「いったん警察に戻って、荷物をまとめたら家に帰すけど、

僕らも一緒に家に行って、パソコン押収させてもらうから」

 

確かに、いままで取りだめてきた映像は、

全てPCに保存しています。

 

PCの中には今回の直接的な証拠はありませんが、

常習性を裏付けるため、また、他の余罪がないか調べるためにも、

PCの押収は、盗撮事件においては一般的なようです。

 

PCは妻も利用するし、困ったことになったと思いましたが、

もちろん拒否することもできませんでした。

 

車で警察署につく10分くらい前に、

F刑事の

「奥さんが電話してきて、お前がちゃんとご飯食べてるかどうか聞いてきたぞ」

という言葉で、私は涙が止まらなくなりました。

 

妻は決してメンタル的に強い人間ではありません。

正直に言って、メンタル面においては、

普段でも少々の難を持っています。

 

それでも、こんな状況でも私の事を心配してくれていることに

自分が如何に罪深い事をしてしまったのか、

また、妻がけなげに振舞っている姿を想像し

感謝と謝罪の気持ちでいっぱいになり、

涙を流すという表現方法しかありませんでした。

 

F刑事は話もうまく、こちらに寄り添った発言もしてくれる方で、

ガムを常に噛みながら、飄々とした喋り方が特徴で、

「もしまた盗撮したいと思う時が来たら、いつでも相談に来い、

俺らの顔でも見たら、辞めたくなるだろ」

とも言ってくれました。

 

心が弱っている時に、人の優しさは身に染みるものです。

これも警察側の作戦なのかもしれませんが、

私は全てを素直に喋ることを覚悟していたため、

単純にその優しさを受け止めることが出来ました。

 

もし否認していたとしても、

私の性格からして、すぐに落ちていたと思います。

(こういった人ほど、こちらが否認して怒った時に怖いのだと思いますが。)

 

 

そうこうしているうちに、警察署の裏出入り口の前に到着しました。

 

荷物の返還の手続きがあるからという事で、

まずは留置管理の事務所に連れていかれ

「手続きが終わったら降りてきてね。」

といい、I刑事は自分の職場へと消えていきました。

 

返還手続きは、留置管理の事務所ではなく、

面会室の中で行われることとなりました。

面会室と言っても、面会しに来た側のスペースです。

 

アクリル板の壁を隔てて奥側は、留置場のエリアであり、

入室が極めて厳格に制限されているエリアになります。

警察幹部以外、刑事ですら立ち入ることはできません。

 

私も拘束が解かれた以上、中に立ち入ることは許されません。

一歩間違えれば今頃そちら側に閉じ込められる身であったのに、

書類一つでここまで立場が変わってしまうことに対して

戸惑いを覚えました。

 

荷物の返還に立ち会ってくれた、留置管理の易しそうな担当さんに

「AさんとBさんにお礼が言いたいのですが、無理ですか?」

と聞きましたが、もちろん

「ごめん、それは出来ないんだよ」と返されました。

 

AさんとBさんからすると、

2泊で出ていった私は冷やかしのような存在でしょうから

会いたくもないでしょうが、

昨日、心が弱り切ってどうしようもない時に雑談に応じてくれ

少しでも私の心の支えになってくれたことに対して私は感謝しかなく、

どうしてもその気持ちを伝えたかったのですが、

当然それはかないませんでした。

伝えたところで私の自己満足でしかありません。

 

「釈放されたよ」

なんて能天気に言った日には、

何をされるかも分かりません。

 

面会室のアクリル板の前の机の上に、

私が逮捕時に持っていた物と、その明細が並べられました。

押収されるときと真逆の行動です。

 

ようやく借りていたジャージを脱ぎ、自前のジーンズに履き替えることもでき、

スリッパから靴に履き替えることが出来ました。

時計や財布、財布の中身と、明細と実物を見比べ

一つ一つ確認して返還されていきました。

 

そのたびに、カバンや財布にその物を自ら入れていきます。

2日しか経っていませんが、

全てが妙に懐かしく感じられました。

 

刑務所に何年も入っていた人からすると、「何を大げさな」と思うでしょうが、

全てを失う瀬戸際を味わった経験をした私にとって、

大げさでもなんでもありませんでした。

この気持ちは、同じような体験をされた人でなければ理解はできないと思います。

 

この時は、「出られる」喜びの方が勝っていますが、

この数十分後には、

家族への謝罪、説明、実家への説明の義務などが待っており、

出られた喜びなど吹っ飛んでしまうことになります。

時には、

「出ずに中にいた方がよかった」

錯覚してしまうほどの苦しみも味わうことになります。

それほど家族にかけた迷惑は大きいのです。

 

これは

「死んだ方がましだった」

という感覚に似ています。

 

帰宅後、事件が終了するまでは

何度も死にたいと思いました。

今後に対する不安に押しつぶされました。

不安で夜布団に入ることも怖かったです。

何度も、正式裁判にかけられ、実刑となり刑務所に行く夢を見ました。

 

在宅事件になったであり、

刑務所に送られる可能性はこの時点ではゼロでは無いのです。

 

出られたことに対しての喜びは、

この、荷物の返還の時がピークだったと思います。

所詮私は事件の被疑者であり、

これから取り調べと判決・刑罰を待つ身なのです。

喜んでいられるわけがありません。

 

 

手続きが終了したころに、ちょうどI刑事が様子を見に来てくれ、

一緒に階段を降り、生活安全課の取調室に入り、

今後の説明を受けることとなりました。

 

「これから何度か取り調べをする必要がありますが、

スケジュールはまた調整しましょう。

仕事の都合でダメな時は言っていただければ調整しますから」

と、言ってもらえました。

 

基本的に、土日は休みなので取り調べは無いとのことでした。

勾留されている被疑者であれば、刑事の都合に合わせていつでも呼び出せますが、

在宅の場合には、

前もって被疑者と予定を調整してもらえます。

 

実際、3回呼び出しを受けましたが、

1日もしくは2日前に電話があり、

「〇〇日の〇〇時に来られますか?」

「〇〇時間程度取り調べを行いたいのですが」

と、

仕事のアポイントでも取るかのような丁寧な対応をしていただけました。

 

I刑事から

「しばらく中(留置場)に入ってもらって、反省してもらおうと思ってたんだけどな」

とボソッと言われました。

これが本心かどうかは分かりません。

 

一通り説明が終わり、F刑事が

「奥さんに電話してよ、今から帰るって」

とI刑事に伝え、I刑事が部屋を出ていきました。

F刑事曰く、

「ひょっとすると今日出られる可能性があるので、

いつでも電話に出られるようにしておいてもらえるように奥さんに言っている」

とのことでした。

 

出られる可能性が高いのであれば、

荷物を前日にまとめ、荷物を一緒に検察までもっていく

(もちろん警察官が持っていき、保管する)

という話を聞いたことがあります。

実際、1回目の逮捕の時もそうでした。

 

しかし、今回はそうではありませんでした。

 

I刑事とF刑事のどちらが本当のことを言っているのかは分かりません。

I刑事は、私に反省を促すために言っただけかもわかりませんが、

答えの出ないことを考えても仕方がありません。

 

妻とはすぐに連絡が取れ、

私は刑事3人(若いW刑事がこの時新たに加わることになりました)

と私で、

車に乗って家に送ってもらえることになりました。

 

正確に言えば、

「家に置いているPCを押収するため、刑事3名と私が一緒に家に行くことになった」

と言ったところでしょうか。

それだけ聞くと、とんでもないことに聞こえますが、

この時の私からすると、

「釈放され、刑事が家まで送ってくれる」

という楽観的な考えが半分くらい占めていました。

 

この後の地獄の苦しみも、

この時は予想できませんでした。