✨本日も摂食障がいで悩んでる人の質問に
答えちゃおう!!のコーナー✨
⬇︎質問⬇︎
摂食障害かどうかを判断する一つの基準として「体重や体型へのこだわりが異常なほど高まり、日常生活に影響がでる」というのがありますが、一般的には周りから太っていると言われたのが
原因で食事の量を急激に制限するという
ものだと思います。
しかし、それとは逆にあまりに痩せすぎていて
周りに運動しろとかもっと食事の量を
増やせとか言われて、
精神的に追い詰められて逆に
今まで以上に食事の量を減らしてしまうという人がいるとしたら、
こういう場合も摂食障害と呼べるのでしょうか?
⬇︎回答⬇︎
元当事者経験をした者です。
仰るように両者とも「摂食障がい」という
捉え方をされるものだと考えています。
ですが、「摂食障がい」というのは医学的な
見方であり個人がどう判断するかは別だと
考えています。
「摂食障がい」というのはあくまでも
表面的なところなので、
その中にある個々の理由を考えていくことが
大切なのではないでしょうか??
なので、質問者さんの言うように
「心理的・身体的要因」→「食の問題」
になるという構図は捉え方として的を
射てるように感じました。
摂食障がいという言葉はあくまでも自分を
捉える一部分だと考えています。
「人=摂食障がい」ではありません。
もちろん症状の名前が付くことで楽になる場合も
ありますし、内科的に適切な処置が行われる
場合もあります。
ですが、それにより自分の根幹が「摂食障がい」と勘違いしてしまう場合もあるのではないでしょうか?
目の前の問題が大きいと感じれば感じるほど、
人はそのことにのみ思考がいってしまいます。
そして、自分の性格を全て「摂食障がいだから」という場合も出てきます。
自分は、過去「摂食障がい」を盾にして
生きてました。
それは何故か?
現実が怖かったからです。
中退した自分なんて価値が無いと本気で勘違いを
していました。
だから「摂食障がい」という病名が付いた時には
免罪符を得た心地ちになりました。
「あっ!これで現実に向き合わなくて済むんだ」って。
ただ、今思うことは、わざわざ免罪符を得なくても中退した自分を肯定したり太った自分を肯定出来てたら何にも問題なかったと考えてます。
というよりも、根底に「自分を信じる」気持ちが
あれば問題なかったのかな?と思ってます。
子供の時は親や先生の影響を受けますので、
なかなか難しかったかと思いますし、未だに
「孤独」への恐怖は出てきます。
ただ、その「不安で過ごす」よりも「笑顔」で過ごしたい自分が居るので「信じる」という
言葉を常に言い聞かせて、「自分は信じるポジションに居るんだもーん」って自己洗脳しています(笑)
結構「自分のポジションを決めちゃう」というのは良いかもしれませんよ!
そして、今だけに囚われない。
もちろん先の事ばかり考えて今が疎かになるのは
順序が逆ですが、今だけを見ていると苦しくなるなーって人は「妄想の時間」を作っちゃいましょ!(笑)
誰にも文句言われないし自己完結なので
楽ですよー!(笑)
