和歌山から関東へと帰る日です。
予定通り10時にホテルを出た僕達一行は、関東への帰路に着きました。
ここからまた、10時間近く運転をするわけです。
昨日の大負けが2日間の疲労に拍車をかけ、頭も体も気持ちも、とても重く感じました。
そして、一番大切な「母の引っ越しにお金が必要」というプレッシャーに押し潰されそうになりながら、高速道路を運転していました。
10時40分。
ボートレースのSG「オーシャンカップ」3日目、第1レースが始まりました。
ここまでくると、もう「何が何でも勝たなくてはならない」という心境、精神状態に陥っていました。
今日は絶対に勝たなくてはならない。負けはありえない。
「賭けない」という選択肢は、どこにもありませんでした。
妹達には、あくまでも「趣味でボートレースを楽しむ兄」を演じ続けました。
言動と雰囲気は、2日前の出発の時と変わらないように努め、出来る限り明るく振る舞いました。
今更「お金がないから母を引っ越しさせられません」なんて、絶対に言えない。
そんな情けないことは、口が裂けても言えない。
この期に及んで、陳腐なプライドがそれを許さない。
ただ、その一心でした。
途中でサービスエリアに寄りましたが、職場に持っていくおみやげも昼食も、適当に済ませました。
その時間すらもったいなく感じていました。
1レースが終わる毎に、まるで命を削られていくような感覚さえありました。
ギャンブルのことしか頭にありませんでした。
久しぶりに食べたはずの、大好きな和歌山ラーメンから味がしませんでした。
美味しいのか、不味いのかもわからず、とにかく急いで食べることに専念しました。
こういう「追い込まれた精神状態」のときって、何をやってもうまくいった試しがありません。
仕事も遊びも人間関係も、そしてギャンブルも。
極端に視野が狭くなり、考えに余裕がなくなり、普段なら気付けていたであろうことすら、いとも簡単に見落としてしまいます。
時間は過ぎ、日は暮れ、車は静岡県の掛川辺りを走っていたと思います。
「僕は何のために和歌山に行って、何のために運転しているんだろう」と思いながら走っていました。
結局、SG以外のレースにも手を出し、4万円近くの負けを上乗せしていました。
さらに追加で借金してまで、ボートレースを続けていました。
もう後には引けず、撤退の選択肢はなく、一か八か。
中途半端はない。大きく勝つか負けるか、の0:100の思考でした。
2日間で約8万円負け。どうしよう。
今回の4人分の宿泊費に、食費。ガソリン代におみやげ代。
初日の勝ち分はとうに消し飛び、ただただ「大金を失った」という現実だけが目の前にありました。
なにが「兄の威厳」か。
そんな見栄と強がりに、一体どんな価値があるのか。
「もうどうにでもなれ。」
そういう荒んだ気持ちも芽生え始めていました。
後部座席には、疲れたのか安心し切った顔で眠る3人の顔が見えました。
「僕も寝たい」
そう思いましたが、次の日には仕事が待っていました。
帰る時間が遅くなればなるほど自宅での睡眠時間が減ります。
僕はそれを嫌い、運転を続けました。
こんな窮屈なスケジュールを組んだ己を憎みました。
そして、忘れもしない、2019年7月12日。
この日の、ボートレース住之江の、第12レース。
全艇がA1選手で構成されたレースでしたが、1号艇には有名な強い選手がいました。
僕は、締め切り前に近くのサービスエリアに立ち寄り、財布の中にあったお札を全て口座へと入金しました。
「このレースは固い。ここで2日分の負けを取り返す。」
スタートと周回展示を見て、1号艇、3号艇、4号艇を軸に据えました。
1号艇はSG級の選手だから、間違いなく1〜2着には入ってくる。そう確信しました。
1-3-4 7.6
1-4-3 12.9
3-1-4 43.8
4-1-3 81.9
本線の買い目と、当時のオッズです。
これに、どれが来てもある程度の負債を回収できるように、振り込んだ13,000円のうち12,000円を振り分けました。
そして、出走時刻を迎えました。
第1ターンで外に膨れ、後退していく1号艇を見て、今までにない怒りと、喉の奥から悲鳴と嗚咽が漏れ溢れてくるのがわかりました。
その一瞬で素寒貧になった現実を、すぐに受け入れられませんでした。
心のままに怒鳴り散らせば、声を漏らせば、悲鳴を上げれば、泣き叫べば、後ろで寝ている妹達を起こしてしまいます。
左手を口に押さえつけ、耐えました。
そして、東京と千葉の自宅まで、あと数時間は運転をしなくてはならない現実が押し寄せてきました。
これが、僕の最後のギャンブルです。
この道を逆向きに走っていたときは、勝っていたはずなのに。
たった2日前は、楽しい旅行のような、平和な雰囲気だったはずなのに。
「なんでこういう土壇場でこんな理不尽な目に遭わないといけないのか」
もしも神がいるなら恨み、殺してやりたかった。
自分がこんな目に遭う理由を聞きたかった。
この2日間で負けた金額を考えれば、母の引っ越し費用も捻出できたはずで、交通手段も車ではなく新幹線で悠々と往復できました。
そういったものを含めた長年の様々な後悔が浮かび、グルグルと頭の中を回り続け、自分の置かれた状況をうまく理解できないまま、妹と姪っ子を送り届け、無事に自宅へと帰宅しました。
6月に振り込まれたはずの、給料と夏のボーナス。
それを使って、一発当てて、人生を立て直し、全てをやり直すはずでした。
その結果、僅か1ヶ月半の間に約66万円負けました。
パチンコ、パチスロ 、競馬、そしてボートレース。
それらを散々やり尽くし、僕に残ったのは
*限度額に到達した消費者金融A
借入残高約189万円
*限度額残り10万円の消費者金融L
借入残高約40万円
*ショッピング枠をほぼ使い切ったクレジットカード3枚
借入残高合計約90万円
*借入額が年収の1/3を超えていて、もうどこからもお金を借りられない
*銀行口座残高856円
*給料日まであと13日
*母の引っ越し費用14万円を用意する責務
この状況でした。
200万円を超える、消費者金融への借金。
利息だけで年間30万円を超えます。
月に5万円返済しても、元本は2万円弱しか減りません。
どうすんのよ?これ。
そのときは、頭の中に具体的な金額は出てきませんでしたが、自分にいくらの借金があるのかは、だいたいわかっていました。
ですが、このとき僕の頭は考えることを拒否し、思考停止、ただ呆然、という状況でした。
何も考えられない。考えたくない。
明日から生きていくことに、絶望しかありませんでした。
どうしてこうなってしまったんだ。自分のせいだ。
どれだけ泣いて後悔しても、負けたお金は返ってきません。時間も戻りません。
「なにが、遠くから来てくれる親孝行な息子さん、だ」と思いました。
母の姿が浮かびました。
僕は母に何も孝行できないまま人生を終えるんだな、と思いました。
アルコール依存と人間関係に苦しみ続けた母の、ここまで育ててくれた母の、長年の望み一つすら叶えてやれない自分を憎みました。
なにが「パチスロを創る」だ。口だけのくせに。
未来が閉じた気がしました。
積んだ、と思いました。
いっそ死ぬしかない。そう思いました。
どこかへ逃げてしまいたい。そう思いました。
その瞬間、ギャンブルへの熱意が消えました。
でも、それでも。
どれだけ気が重くても、疲れていても、仕事だけは行かなくては。
その気持ちだけは消えませんでした。
大して眠れないまま、仕事へ向かいました。
疲労と、大敗と、人生への絶望に、やる気なんて起きませんでした。
派遣社員からスタートして、頑張って正社員になったんだから、それだけは失いたくない。
そして週明けの7月16日。
僕は唐突に上長から本社へ呼び出されました。
「聞きたいことがある」と。理由はわかっていました。
まだ底は付いていません。
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