急性腸炎で入院し、4日間の絶食を経た後、ようやく水とお茶以外の水分が解禁され、ポカリスエットを飲んだ瞬間。


あれほどの多幸感は、久しぶりに味わった。


キンッキンに冷えたビールを飲んだカイジもこんな気持ちだったのか、と思った。


久々の甘味が、舌を溶かす勢いで口中に染み渡り、食道を下っていくと、喉奥から歓喜のため息が出た。旨い。


たった一口、ポカリを摂取するだけで、「生きてて良かった」と、身体の奥底から実感した。


大塚製薬は神企業。アクエリよりポカリ派です。




こういう体験を「生きる喜び」と呼びたい。


年末に救急車で運ばれたとか、繁忙期のシフトに大穴を空けたとか、色々なネガティブが周囲にあるけれど、あのポカリの一瞬に限ってはそんなことどうでも良かった。


本当に、涙が出るほどに旨かった。意思とは関係なく声が漏れてくるほどに。




仕事を休んでいる現実は何一つ変わらない。

有給が残っていないから来月の給料も減る。


でも、病室のカーテンを開けると日光が差していた。ポカポカどころではなく、炙りカルビになりそうな勢いの熱波だった。


数日振りの太陽光。お天道様は偉大です。

「たかが日光浴」なんて言えない。


ボタン一つで起き上がるパラマウントベッドと、誰にも見られないカーテンの便利さも相まって、顔面と上半身を変な姿勢になりながら飽きるまで焼いた。




このジリジリと肌に伝わる熱も「生きる喜び」と呼びたい。




人は、一口のポカリと10分間の日光浴で幸せを感じられる。




うん、間違いない。


これは多分、数百万の借金があっても変わらないと思う。いっそ死んで楽になりたいと思う瞬間はたくさんあったけど、あのポカリの旨さは死んでしまえば味わえないし、お天道様の暖かさも感じられん。




そんでもって僕はギャンブル依存症だから、こういう体験と己のギャンブルを重ね合わせる。




借金返済の算段で頭の中がいっぱいなとき。

来月の支払いがうまく回るか不安なとき。

洗いざらい喋ってしまおうか、と悩むとき。


もう生きるのが辛い、と嘆きながらも、生きるってこういうことだよな、とも思ってた。


お金のやりくりと惨めな食事、依存の苦しみから生を実感したんです。




「今月の支払いはなんとかなりそう。」



正直、ホッとしました。

感じたのは死ねない辛さじゃなくて「まだ生きられる。良かった。」だったんです。


何度も「いっそ死んだ方がマシ」と思ってた。

でも多分、本心では生きていたいんだと思う。



『生きてりゃ何とかなる。』

『生きてるだけで丸儲け。』



これって自己啓発の言葉みたいやけど、なんかね、違う気がするんですよ。


“諦めの向こう側の景色”から届く声に聞こえるんよな。


嘆いたって借金は減らん。お金がなくても生きられる。今はそれでいいじゃん。明日に繋がる命がある。それでいいんだよ。みたいな。




去年、JREポイントで新幹線に乗って、向かった先で食べた米沢牛よりも、上と下からピーピー垂れ流しまくった後に飲んだポカリの方が旨かったよ。




本当、死ぬかと思った。

でも人生、まだまだ捨てたもんじゃない。


2024年もよろしくお願いいたします。