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聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 41:14 あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神 主は言われる。恐れるな、虫けらのようなヤコブよ イスラエルの人々よ、わたしはあなたを助ける。
 41:15 見よ、わたしはあなたを打穀機とする 新しく、鋭く、多くの刃をつけた打穀機と。あなたは山々を踏み砕き、丘をもみ殻とする。
 41:16 あなたがそれをあおると、風が巻き上げ 嵐がそれを散らす。あなたは主によって喜び躍り イスラエルの聖なる神によって誇る。
 41:17 苦しむ人、貧しい人は水を求めても得ず 渇きに舌は干上がる。主であるわたしが彼らに答えよう。イスラエルの神であるわたしは彼らを見捨てない。
 41:18 わたしは不毛の高原に大河を開き 谷あいの野に泉を湧き出させる。荒れ野を湖とし 乾いた地を水の源とする。
 41:19 荒れ野に杉やアカシヤを ミルトスやオリーブの木を植え 荒れ地に糸杉、樅、つげの木を共に茂らせる。
 41:20 彼らはこれを見て、悟り 互いに気づかせ、目覚めさせる 主の御手がこれを成し遂げ イスラエルの聖なる神がこれを創造されたことを。

詩篇 21:1  指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
 21:2 主よ、王はあなたの御力を喜び祝い 御救いのゆえに喜び躍る。
 21:3 あなたは王の心の望みをかなえ 唇の願い求めるところを拒まず
 21:4 彼を迎えて豊かな祝福を与え 黄金の冠をその頭におかれた。
 21:5 願いを聞き入れて命を得させ 生涯の日々を世々限りなく加えられた。
 21:6 御救いによって王の栄光は大いなるものになる。あなたは彼に栄えと輝きを賜る。
 21:7 永遠の祝福を授け、御顔を向けられると 彼は喜び祝う。
 21:8 王は主に依り頼む。いと高き神の慈しみに支えられ 決して揺らぐことがない。
 21:9 あなたの御手は敵のすべてに及び 右の御手はあなたを憎む者に及ぶ。
 21:10 主よ、あなたが怒りを表されるとき 彼らは燃える炉に投げ込まれた者となり 怒りに呑み込まれ、炎になめ尽くされ
 21:11 その子らは地から 子孫は人の子らの中から断たれる。
 21:12 彼らはあなたに向かって悪事をたくらみ 陰謀をめぐらすが、決して成功しない。
 21:13 かえって、あなたは彼らを引き倒し 彼らに向かって弓を引き絞られる。
 21:14 御力を表される主をあがめよ。力ある御業をたたえて、我らは賛美の歌をうたう。

ローマ 15:14 兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。
 15:15 記憶を新たにしてもらおうと、この手紙ではところどころかなり思い切って書きました。それは、わたしが神から恵みをいただいて、
 15:16 異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません。
 15:17 そこでわたしは、神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思っています。
 15:18 キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは異邦人を神に従わせるために、わたしの言葉と行いを通して、
 15:19 また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。こうしてわたしは、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました。
 15:20 このようにキリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせようと、わたしは熱心に努めてきました。それは、他人の築いた土台の上に建てたりしないためです。
 15:21 「彼のことを告げられていなかった人々が見、聞かなかった人々が悟るであろう」と書いてあるとおりです。

 

 

 

パウロをはじめ、使徒たちやほかの多くのキリストの弟子たちは、各地に散らばり、福音を宣教していった。

彼らが宣べ伝えたのは、キリストの十字架と贖いによる救いの約束であり、その約束は、キリストを救い主として信じることによって与えられる神の恵みであることであった。

それゆえ、彼ら自身の行いや考え方などを誇ったり、強要したりすることはなく、あくまで、神ご自身が自らの命を捨ててまで、信じる者を救おうとして下さったという神の愛と、何ら義の行いや立派な振舞いなどができなくても、イエス様が自分の身代わりとなって十字架で死に、それによって全ての罪が赦され、神の国に入ることができるようになり、しかも、それは信じるだけで良いという恵みの約束を宣べ伝えるものであり、だからこそ、これらの言葉は福音(よろこびの知らせ)として語られていったのである。

キリスト教会は、こうした聖書の言葉を用いて福音を宣べ伝えていくことこそが、その主たる目的であると言えよう。

もちろん、楽しいことや幸いなことがあっても良いし、立派な愛の業が行われても良い。

ただ、そこに、キリストの十字架と復活による救いの約束と、それをもたらして下さった神の愛と恵み、信じるだけで救われるという福音のメッセージが語られてこそ、教会はその存在意義を果たすこととなる。

クリスマスの季節、様々な集会やイベントが行われるが、イエス様のことが中心的に語られるように努めていきたい。