ヨナ4章1~11節、詩篇51篇、ローマ1章8~17節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨナ 4:1 ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。
 4:2 彼は、主に訴えた。「ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。
 4:3 主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです。」
 4:4 主は言われた。「お前は怒るが、それは正しいことか。」
 4:5 そこで、ヨナは都を出て東の方に座り込んだ。そして、そこに小屋を建て、日射しを避けてその中に座り、都に何が起こるかを見届けようとした。
 4:6 すると、主なる神は彼の苦痛を救うため、とうごまの木に命じて芽を出させられた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰をつくったので、ヨナの不満は消え、このとうごまの木を大いに喜んだ。
 4:7 ところが翌日の明け方、神は虫に命じて木に登らせ、とうごまの木を食い荒らさせられたので木は枯れてしまった。
 4:8 日が昇ると、神は今度は焼けつくような東風に吹きつけるよう命じられた。太陽もヨナの頭上に照りつけたので、ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言った。「生きているよりも、死ぬ方がましです。」
 4:9 神はヨナに言われた。「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」彼は言った。「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」
 4:10 すると、主はこう言われた。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。
 4:11 それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」

詩篇 51:1  指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
 51:2 ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき。
 51:3 神よ、わたしを憐れんでください 御慈しみをもって。深い御憐れみをもって 背きの罪をぬぐってください。
 51:4 わたしの咎をことごとく洗い 罪から清めてください。
 51:5 あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
 51:6 あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し 御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく あなたの裁きに誤りはありません。
 51:7 わたしは咎のうちに産み落とされ 母がわたしを身ごもったときも わたしは罪のうちにあったのです。
 51:8 あなたは秘儀ではなくまことを望み 秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。
 51:9 ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください わたしが清くなるように。わたしを洗ってください 雪よりも白くなるように。
 51:10 喜び祝う声を聞かせてください あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。
 51:11 わたしの罪に御顔を向けず 咎をことごとくぬぐってください。
 51:12 神よ、わたしの内に清い心を創造し 新しく確かな霊を授けてください。
 51:13 御前からわたしを退けず あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
 51:14 御救いの喜びを再びわたしに味わわせ 自由の霊によって支えてください。
 51:15 わたしはあなたの道を教えます あなたに背いている者に 罪人が御もとに立ち帰るように。
 51:16 神よ、わたしの救いの神よ 流血の災いからわたしを救い出してください。恵みの御業をこの舌は喜び歌います。
 51:17 主よ、わたしの唇を開いてください この口はあなたの賛美を歌います。
 51:18 もしいけにえがあなたに喜ばれ 焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら わたしはそれをささげます。
 51:19 しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を 神よ、あなたは侮られません。
 51:20 御旨のままにシオンを恵み エルサレムの城壁を築いてください。
 51:21 そのときには、正しいいけにえも 焼き尽くす完全な献げ物も、あなたに喜ばれ そのときには、あなたの祭壇に 雄牛がささげられるでしょう。

ローマ 1:8 まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
 1:9 わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、
 1:10 何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。
 1:11 あなたがたにぜひ会いたいのは、"霊"の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。
 1:12 あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。
 1:13 兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。
 1:14 わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。
 1:15 それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。
 1:16 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
 1:17 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

 

 

 

ヨナ書4章におけるヨナのニネベの町の人たちに対する態度と、ローマ1章におけるパウロのローマの人たちへの思いとは、非常に対照的である。

ヨナは、確かに神様に言われた通り、ニネベの町の人たちに神様の救いの言葉を宣べ伝えたのであろう。

けれども、ヨナは「信じなければ滅びる」ということを強調してしまったために、結果的にそれが実現しなかったため、どちらかと言うと、自分が嘘をついたかのような感じになってしまい、ふてくされてしまった結果、ニネベの町が滅びるかどうか高みの見物をしようとしていたのである。

なんとも身勝手で高慢な態度のようにも思えるが、しかし、むしろそれが普通の人間なのだろう。

一方のパウロは、実に素晴らしい態度を示していると言える。

ローマに住む人たちの救われることを心から願い、愛の心を存分に現わしていると言えるだろう。

我々も、こんな風になれたらなあと思う。

しかし、実際はヨナに近い。

もちろん、「みんな滅んでしまえばいい」などとは思わないが、ひねくれた心が捨てきれないでいることは認めざるを得ない。

もっとも、パウロとて、み言葉に耳を傾けず、彼らを受け入れようとしない町の人たちには、足のゴミを振り払い、次の町へ歩みを進めるといったこともあったであろう。

人間は、かくも愚かで醜い存在である、ということはきちんと理解した上で、それでも神が御子イエス様の命を持って贖い、全ての罪を赦し、生かそうと願っておられることを忘れないでいたい。

そういう意味で、ヨナ書は有益であると思う。

自分の心の狭さ、勝手さ、自己中心、傲慢さなど、ありとあらゆる「赦されるべき罪」を示されるのだから。