箴言16章21~33節、詩篇5篇、マタイ15章1~9節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

箴言 16:21 心に知恵ある人は聡明な人と呼ばれる。優しく語る唇は説得力を増す。
 16:22 見識ある人にはその見識が命の泉となる。無知な者には無知が諭しとなる。
 16:23 知恵ある心は口の言葉を成功させ その唇に説得力を加える。
 16:24 親切な言葉は蜜の滴り。魂に甘く、骨を癒す。
 16:25 人間の前途がまっすぐなようでも 果ては死への道となることがある。
 16:26 労苦する者を労苦させるのは欲望だ。口が彼を駆り立てる。
 16:27 ならず者は災いの炉、その唇には燃えさかる火。
 16:28 暴言をはく者はいさかいを起こさせる。陰口は友情を裂く。
 16:29 不法を行う者はその友を惑わして 良くない道を行かせる。
 16:30 人は目を閉じて暴言を考え出し 悪を果たして口をすぼめる。
 16:31 白髪は輝く冠、神に従う道に見いだされる。
 16:32 忍耐は力の強さにまさる。自制の力は町を占領するにまさる。
 16:33 くじは膝の上に投げるが ふさわしい定めはすべて主から与えられる。

詩篇 5:1  指揮者によって。笛に合わせて。賛歌。ダビデの詩。
 5:2 主よ、わたしの言葉に耳を傾け つぶやきを聞き分けてください。
 5:3 わたしの王、わたしの神よ 助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。あなたに向かって祈ります。
 5:4 主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。朝ごとに、わたしは御前に訴え出て あなたを仰ぎ望みます。
 5:5 あなたは、決して 逆らう者を喜ぶ神ではありません。悪人は御もとに宿ることを許されず
 5:6 誇り高い者は御目に向かって立つことができず 悪を行う者はすべて憎まれます。
 5:7 主よ、あなたは偽って語る者を滅ぼし 流血の罪を犯す者、欺く者をいとわれます。
 5:8 しかしわたしは、深い慈しみをいただいて あなたの家に入り、聖なる宮に向かってひれ伏し あなたを畏れ敬います。
 5:9 主よ、恵みの御業のうちにわたしを導き まっすぐにあなたの道を歩ませてください。わたしを陥れようとする者がいます。
 5:10 彼らの口は正しいことを語らず、舌は滑らかで 喉は開いた墓、腹は滅びの淵。
 5:11 神よ、彼らを罪に定め そのたくらみのゆえに打ち倒してください。彼らは背きに背きを重ねる反逆の者。彼らを追い落としてください。
 5:12 あなたを避けどころとする者は皆、喜び祝い とこしえに喜び歌います。御名を愛する者はあなたに守られ あなたによって喜び誇ります。
 5:13 主よ、あなたは従う人を祝福し 御旨のままに、盾となってお守りくださいます。

マタイ 15:1 そのころ、ファリサイ派の人々と律法学者たちが、エルサレムからイエスのもとへ来て言った。
 15:2 「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人の言い伝えを破るのですか。彼らは食事の前に手を洗いません。」
 15:3 そこで、イエスはお答えになった。「なぜ、あなたたちも自分の言い伝えのために、神の掟を破っているのか。
 15:4 神は、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っておられる。
 15:5 それなのに、あなたたちは言っている。『父または母に向かって、「あなたに差し上げるべきものは、神への供え物にする」と言う者は、
 15:6 父を敬わなくてもよい』と。こうして、あなたたちは、自分の言い伝えのために神の言葉を無にしている。
 15:7 偽善者たちよ、イザヤは、あなたたちのことを見事に預言したものだ。
 15:8 『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
 15:9 人間の戒めを教えとして教え、むなしくわたしをあがめている。』」

 

 

 

ファリサイ派の人たちや律法学者たちは、神の言葉である聖書については、多くの知識を持っていた。

そして、それらの律法について、実践しようという思いを持っていた。

しかし、彼らの心は、強欲と驕りで満ちており、どれだけ聖書の言葉に対する知識を持っているかといったことを自慢するために生きようとしていたのである。

しかし、律法などを含む聖書のみ言葉は、神の言葉であり、なぜそのような言葉が語られているのかとか、そのみ言葉を語られてるお方が、何を求め、どのように生きてほしいと願っておられるのか、神ご自身の心を知ることが大切である。

もちろん、我々が隣人を愛するように生きよ、ということも含まれてはいるのだろうが、その前に、どれだけ神ご自身が私たちを愛してくださっているかということを知り、感謝の心共に、神と人との前に謙遜に生きることが求められているのである。

だから、どれだけ聖書のみ言葉に精通していようと、その心が神の御心とは程遠い、強欲や驕りで満ちているような生き方は、神が喜ばれるような生き方とはならないのである。

神を知り、神の御心に沿って生きようとするところに、本当に知恵ある人生が導かれる。

神の御心を常に求めつつ、生きていきたい。