サムエル記上2章27~36節、詩篇43篇、ローマ2章17~29節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

サムエル記上 2:27 神の人がエリのもとに来て告げた。「主はこう言われる。あなたの先祖がエジプトでファラオの家に服従していたとき、わたしは自らをあなたの先祖に明らかに示し、
 2:28 わたしのためにイスラエルの全部族の中からあなたの先祖を選んで祭司とし、わたしの祭壇に上って香をたかせ、エフォドを着せてわたしの前に立たせた。また、わたしはあなたの先祖の家に、イスラエルの子らが燃やして主にささげる物をすべて与えた。
 2:29 あなたはなぜ、わたしが命じたいけにえと献げ物をわたしの住む所でないがしろにするのか。なぜ、自分の息子をわたしよりも大事にして、わたしの民イスラエルが供えるすべての献げ物の中から最上のものを取って、自分たちの私腹を肥やすのか。
 2:30 それゆえ、イスラエルの神、主は言われる。わたしは確かに、あなたの家とあなたの先祖の家はとこしえにわたしの前に歩む、と約束した。主は言われる。だが、今は決してそうはさせない。わたしを重んずる者をわたしは重んじ、わたしを侮る者をわたしは軽んずる。
 2:31 あなたの家に長命の者がいなくなるように、わたしがあなたの腕とあなたの先祖の家の腕を切り落とす日が来る。
 2:32 あなたは、わたしの住む所がイスラエルに与える幸いをすべて敵視するようになる。あなたの家には永久に長命の者はいなくなる。
 2:33 わたしは、あなたの家の一人だけは、わたしの祭壇から断ち切らないでおく。それはあなたの目をくらまし、命を尽きさせるためだ。あなたの家の男子がどれほど多くとも皆、壮年のうちに死ぬ。
 2:34 あなたの二人の息子ホフニとピネハスの身に起こることが、あなたにとってそのしるしとなる。二人は同じ日に死ぬ。
 2:35 わたしはわたしの心、わたしの望みのままに事を行う忠実な祭司を立て、彼の家を確かなものとしよう。彼は生涯、わたしが油を注いだ者の前を歩む。
 2:36 あなたの家の生き残った者は皆、彼のもとに来て身をかがめ、銀一枚、パン一切れを乞い、『一切れのパンでも食べられるように、祭司の仕事の一つに就かせてください』と言うであろう。」

詩篇 43:1 神よ、あなたの裁きを望みます。わたしに代わって争ってください。あなたの慈しみを知らぬ民、欺く者 よこしまな者から救ってください。
 43:2 あなたはわたしの神、わたしの砦。なぜ、わたしを見放されたのか。なぜ、わたしは敵に虐げられ 嘆きつつ行き来するのか。
 43:3 あなたの光とまことを遣わしてください。彼らはわたしを導き 聖なる山、あなたのいますところに わたしを伴ってくれるでしょう。
 43:4 神の祭壇にわたしは近づき わたしの神を喜び祝い 琴を奏でて感謝の歌をうたいます。神よ、わたしの神よ。
 43:5 なぜうなだれるのか、わたしの魂よ なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう 「御顔こそ、わたしの救い」と。わたしの神よ。

ローマ 2:17 ところで、あなたはユダヤ人と名乗り、律法に頼り、神を誇りとし、
 2:18 その御心を知り、律法によって教えられて何をなすべきかをわきまえています。
 2:19 -20また、律法の中に、知識と真理が具体的に示されていると考え、盲人の案内者、闇の中にいる者の光、無知な者の導き手、未熟な者の教師であると自負しています。
 2:21 それならば、あなたは他人には教えながら、自分には教えないのですか。「盗むな」と説きながら、盗むのですか。
 2:22 「姦淫するな」と言いながら、姦淫を行うのですか。偶像を忌み嫌いながら、神殿を荒らすのですか。
 2:23 あなたは律法を誇りとしながら、律法を破って神を侮っている。
 2:24 「あなたたちのせいで、神の名は異邦人の中で汚されている」と書いてあるとおりです。
 2:25 あなたが受けた割礼も、律法を守ればこそ意味があり、律法を破れば、それは割礼を受けていないのと同じです。
 2:26 だから、割礼を受けていない者が、律法の要求を実行すれば、割礼を受けていなくても、受けた者と見なされるのではないですか。
 2:27 そして、体に割礼を受けていなくても律法を守る者が、あなたを裁くでしょう。あなたは律法の文字を所有し、割礼を受けていながら、律法を破っているのですから。
 2:28 外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。
 2:29 内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく"霊"によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。

 

 

主なる神様がイスラエルの民をお選びになった目的は、世界中に神の恵みを伝えるために、祭司としての役割をはたすためであったはずである。

その目的のために与えられた律法の言葉も、神を愛し、隣人を愛するように命じられたものであり、間違っても、異邦人らを退けたり、迫害したりするためのものではない。

現代のイスラエルはそこをはき違えているようである。

自分たちこそが神に選ばれた聖なる民であり、邪悪な異邦人は排斥してもいいと考えているのではないだろうか。

しかし彼らが行っていることは「盗み」であり「姦淫」であり、神の名のもとに人々を迫害する行為に他ならない。

私たちは神のみ言葉の意味をはき違えてはならない。

神のみを愛し、そのためならば、隣人を迫害してもよい、とは語られていないのだから。

隣人を愛せない者に、神を愛することはできない。

両者を愛することは、本質的には同じことであり、人と人とが互いに愛し合っていく道を神は求めておられる。

そのことを見失わないでいよう。