申命記6章1~9,20~25節、詩篇119篇41~48節、ヤコブ2章8~13節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

申命記 6:1 これは、あなたたちの神、主があなたたちに教えよと命じられた戒めと掟と法であり、あなたたちが渡って行って得る土地で行うべきもの。
 6:2 あなたもあなたの子孫も生きている限り、あなたの神、主を畏れ、わたしが命じるすべての掟と戒めを守って長く生きるためである。
 6:3 イスラエルよ、あなたはよく聞いて、忠実に行いなさい。そうすれば、あなたは幸いを得、父祖の神、主が約束されたとおり、乳と蜜の流れる土地で大いに増える。
 6:4 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。
 6:5 あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
 6:6 今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、
 6:7 子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。
 6:8 更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、
 6:9 あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。

詩篇 119:41 主よ、あなたの慈しみと救いが 仰せのとおり、わたしを訪れますように。
 119:42 わたしを辱めた者に答えさせてください。わたしは御言葉に依り頼んでいます。
 119:43 真実をわたしの口から奪わないでください。あなたの裁きを待ち望んでいます。
 119:44 わたしがあなたの律法を守る者でありますように 常に、そしてとこしえに。
 119:45 広々としたところを行き来させてください。あなたの命令を尋ね求めています。
 119:46 わたしは王たちの前であなたの定めを告げ 決して恥とすることはないでしょう。
 119:47 わたしはあなたの戒めを愛し それを楽しみとします。
 119:48 わたしはあなたの戒めを愛し それに向かって手を高く上げます。わたしはあなたの掟を歌います。

ヤコブ 2:8 もしあなたがたが、聖書に従って、「隣人を自分のように愛しなさい」という最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構なことです。
 2:9 しかし、人を分け隔てするなら、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違犯者と断定されます。
 2:10 律法全体を守ったとしても、一つの点でおちどがあるなら、すべての点について有罪となるからです。
 2:11 「姦淫するな」と言われた方は、「殺すな」とも言われました。そこで、たとえ姦淫はしなくても、人殺しをすれば、あなたは律法の違犯者になるのです。
 2:12 自由をもたらす律法によっていずれは裁かれる者として、語り、またふるまいなさい。
 2:13 人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます。憐れみは裁きに打ち勝つのです。

 

 

 

神様が与えてくださった律法の言葉は、当然、守るべきものとして語られている。

しかし、それはとても厳しいもので、たとえ律法全体を守っているようでも、ただ一つの点でも落ち度があるのなら、それはもはや律法を守っていると言えない、というのである。

山上の説教などでイエス様も仰せられている通り、たとえひとを殺したことがなくても、人を罵ったり、見下したりしているだけでも、それはもはやその人を殺しているに等しいともいうのである。

こうしたことをあてはめていくならば、この地上に生きるすべての人間が、律法を完全に守れていないだろうし、すべての人が違反者になるに違いないのである。

 

ローマ3:19 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる人々に向けられています。それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するようになるためなのです。
3:20 なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。
3:21 ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。
3:22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。
3:23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
3:24 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。

 

イエス様は、律法を守れず、滅びるしかなかったような私たちを救うため、自らの命を捧げて、私たちのために律法の求めることを成し遂げてくださったのである。

私たちには、この救いを信じることしかできない。

けれど、それこそが、私たちがなすべき必要なことであるということを覚えたいものである。