箴言10章1~5節、詩篇145篇8~9,14~21節、フィリピ4章10~15節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

箴言 10:1 ソロモンの格言集。知恵ある子は父の喜び、愚かな子は母の嘆き。
 10:2 不正による富は頼りにならない。慈善は死から救う。
 10:3 主は従う人を飢えさせられることはない。逆らう者の欲望は退けられる。
 10:4 手のひらに欺きがあれば貧乏になる。勤勉な人の手は富をもたらす。
 10:5 夏のうちに集めるのは成功をもたらす子。刈り入れ時に眠るのは恥をもたらす子。

詩篇 145:8 主は恵みに富み、憐れみ深く 忍耐強く、慈しみに満ちておられます。
 145:9 主はすべてのものに恵みを与え 造られたすべてのものを憐れんでくださいます。
 145:14 主は倒れようとする人をひとりひとり支え うずくまっている人を起こしてくださいます。
 145:15 ものみながあなたに目を注いで待ち望むと あなたはときに応じて食べ物をくださいます。
 145:16 すべて命あるものに向かって御手を開き 望みを満足させてくださいます。
 145:17 主の道はことごとく正しく 御業は慈しみを示しています。
 145:18 主を呼ぶ人すべてに近くいまし まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし
 145:19 主を畏れる人々の望みをかなえ 叫びを聞いて救ってくださいます。
 145:20 主を愛する人は主に守られ 主に逆らう者はことごとく滅ぼされます。
 145:21 わたしの口は主を賛美します。すべて肉なるものは 世々限りなく聖なる御名をたたえます。

フィリピ 4:10 さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。
 4:11 物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。
 4:12 貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。
 4:13 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。
 4:14 それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。
 4:15 フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。

 

 

 

神様の救いの言葉を宣べ伝える働きに従事していたパウロをサポートしようと、フィリピの教会のクリスチャンたちが、おそらく献金を集めてパウロのもとに送ったのであろう。

パウロは、フィリピの教会のクリスチャンたちの中に、そういう思いが与えられ、行動したことを大いに評価している。

もっとも、パウロ自身は、無いなら無いで、それなりに生きる術を身に着けていると語っているし、自分の方から支援を求めてお願いしたというわけでもなかったのだろう。

ただ、福音宣教の働きが広められていくために彼らが心を動かされていたことを喜んでいる、ということなのだろう。

教会の働きやクリスチャンの生活自体も、この世界で生きていく上では、普通にお金も必要である。

無いよりは有った方が断然、活動の幅も広げていくことができるだろう。

しかし、あらゆる金銭に対する欲望は罪の根源であるといったことも語られており、教会やクリスチャンが清廉潔白で、貧しさの中にあっても、忍耐や鍛錬を求められるところも多く、特に、伝道の働きに直接関わっている伝道者や献身者といった人たちに対しては、かなり厳しいことが求められ、世間一般からすれば、ブラックと評されるような環境の中に暮らしている人も多いのが現実であろう。

そうはいっても、伝道者も献身者も同じ人間である。

当たり前だが、食べなければ死ぬ。

働きを続けるどころではない。

欲に任せて、贅沢に生きようというわけではなくとも、健康的で、生活の不安に悩まされ続けて生きていくようでは、証しにもならないだろう。

ある程度、お金は必要であるば、金銭に関しては「蛇のように賢く、鳩のように素直に」ふるまうことができれば良いだろう。

いずれにしても、必要なものを与えてくださるのも主であることを覚え、いつでも主にあって生きていられるように心がけていきたいものである。