イザヤ44章18~20節、詩篇86篇11~17節、マタイ7章15~20節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 44:18 彼らは悟ることもなく、理解することもない。目はふさがれていて見えず 心もふさがれていて、目覚めることはない。
 44:19 反省することもなく、知識も英知もなく 「わたしは半分を燃やして火にし その炭火でパンを焼き、肉をあぶって食べた。残りの木で忌むべきものを造ったり 木の切れ端を拝んだりできようか」とは言わない。
 44:20 彼は灰を食らい 惑わされた心は、その道を誤らせる。彼は自分の魂を救うことができず 「わたしの右の手にあるのは偽りではないか」とすら言わない。

詩篇 86:11 主よ、あなたの道をお教えください。わたしはあなたのまことの中を歩みます。御名を畏れ敬うことができるように 一筋の心をわたしにお与えください。
 86:12 主よ、わたしの神よ 心を尽くしてあなたに感謝をささげ とこしえに御名を尊びます。
 86:13 あなたの慈しみはわたしを超えて大きく 深い陰府から わたしの魂を救い出してくださいます。
 86:14 神よ、傲慢な者がわたしに逆らって立ち 暴虐な者の一党がわたしの命を求めています。彼らはあなたを自分たちの前に置いていません。
 86:15 主よ、あなたは情け深い神 憐れみに富み、忍耐強く 慈しみとまことに満ちておられる。
 86:16 わたしに御顔を向け、憐れんでください。御力をあなたの僕に分け与え あなたのはしための子をお救いください。
 86:17 良いしるしをわたしに現してください。それを見て わたしを憎む者は恥に落とされるでしょう。主よ、あなたは必ずわたしを助け 力づけてくださいます。

マタイ 7:15 「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。
 7:16 あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。
 7:17 すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
 7:18 良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。
 7:19 良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
 7:20 このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」

 

 

良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。

当たり前のことのようであるが、人はその結ぶ実をみて、その人が良い人なのかどうか判断していく。

しかし、その実とは、何らかの成果を上げたかとか、成功したかといったことを指しているわけではないだろう。

世の中で成功しているように思っている人ほど、案外、高慢になっていたり、他人を見下したりしていたりするものである。

そして、人はそういうところを見ている。

いくら正しいことを言っているようでも、その人が他人を見下しているのか、それとも、敬意をもって接しようとしているのかといったことは、言葉や態度にありありと現れてくる。

 

フィリピ 2:1 そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、"霊"による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、
 2:2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。
 2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、
 2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
 2:5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
 2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
 2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
 2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

 

イエス様は、ただただ私たちを救いたいがために、命をも惜しまずに捨てられた。

こんな小さな者のために仕えてくださったのである。

願わくは、イエス様のようになりたいとは思うものの、なかなか難しいことではあるが、まずは、このようなイエス様のお姿を忘れないでいたいものである。