レビ記26章3~20節、詩篇92篇、1テサロニケ4章1~8節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

レビ記 26:3 あなたたちがわたしの掟に従って歩み、わたしの戒めを忠実に守るならば、
 26:4 わたしは時季に応じて雨を与える。それによって大地は作物をみのらせ、野の木は実をみのらせる。
 26:5 穀物の収穫にはぶどうの収穫が続き、ぶどうの収穫には種蒔きが続いて、あなたたちは食物に飽き足り、国のうちで平穏に暮らすことができる。
 26:6 わたしは国に平安を与え、あなたたちは脅かされることなく安眠することができる。わたしはまた、猛獣を国から一掃し、剣が国を荒廃させることはない。
 26:7 あなたたちは敵を追撃し、剣にかけて滅ぼす。
 26:8 あなたたちは五人で百人の敵を、百人で一万の敵を追撃し、剣にかけて滅ぼす。
 26:9 わたしはあなたたちを顧み、あなたたちに子を生ませ、その数を増し、あなたたちとわたしの契約を立てる。
 26:10 あなたたちは前年の穀物を食べ尽くさぬうちに、それを倉から運び出して、新穀を倉に納めるようになる。
 26:11 わたしはあなたたちのただ中にわたしの住まいを置き、あなたたちを退けることはない。
 26:12 わたしはあなたたちのうちを巡り歩き、あなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。
 26:13 わたしはあなたたちが奴隷にされていたエジプトの国から導き出したあなたたちの神、主である。わたしはあなたたちの軛を打ち砕き、あなたたちがまっすぐに立って歩けるようにした。
 26:14 しかし、わたしの言葉を聞かず、これらすべての戒めを守らず、
 26:15 わたしの掟を捨て、わたしの法を捨て、何一つわたしの戒めに従わず、わたしの契約を破るならば、
 26:16 わたしは必ずあなたたちにこうする。すなわち、あなたたちの上に恐怖を臨ませ、肺病、失明や衰弱をもたらす熱病にかからせる。あなたたちは種を蒔いてもむなしい。敵がそれを食べ尽くす。
 26:17 わたしは顔をあなたたちに向けて攻める。それゆえ、あなたたちは敵に打ち破られ、あなたたちを憎む者に踏みにじられ、追う者もないのに逃げ去らねばならない。
 26:18 このような目に遭ってもまだ、わたしの言葉を聞かないならば、あなたたちの罪に七倍の罰を加えて懲らしめる。
 26:19 わたしはあなたたちの誇りとする力を砕き、天を鉄のようにし、地を赤銅のようにする。
 26:20 それゆえ、あなたたちの努力はむなしく、地に作物は実らず、地上の木に実はならない。

詩篇 92:1  賛歌。歌。安息日に。
 92:2 いかに楽しいことでしょう 主に感謝をささげることは いと高き神よ、御名をほめ歌い
 92:3 朝ごとに、あなたの慈しみを 夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは
 92:4 十弦の琴に合わせ、竪琴に合わせ 琴の調べに合わせて。
 92:5 主よ、あなたは 御業を喜び祝わせてくださいます。わたしは御手の業を喜び歌います。
 92:6 主よ、御業はいかに大きく 御計らいはいかに深いことでしょう。
 92:7 愚かな者はそれを知ることなく 無知な者はそれを悟ろうとしません。
 92:8 神に逆らう者が野の草のように茂り 悪を行う者が皆、花を咲かせるように見えても 永遠に滅ぼされてしまいます。
 92:9 主よ、あなたこそ、永遠に高くいます方。
 92:10 主よ、あなたに敵対する者は、必ず あなたに敵対する者は、必ず滅び 悪を行う者は皆、散らされて行きます。
 92:11 あなたはわたしの角を野牛のように上げさせ 豊かな油を注ぎかけてくださることでしょう
 92:12 わたしを陥れようとする者をこの目で見 悪人がわたしに逆らって立つのを この耳で聞いているときにも。
 92:13 神に従う人はなつめやしのように茂り レバノンの杉のようにそびえます。
 92:14 主の家に植えられ わたしたちの神の庭に茂ります。
 92:15 白髪になってもなお実を結び 命に溢れ、いきいきとし
 92:16 述べ伝えるでしょう わたしの岩と頼む主は正しい方 御もとには不正がない、と。

1テサロニケ 4:1 さて、兄弟たち、主イエスに結ばれた者としてわたしたちは更に願い、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを、わたしたちから学びました。そして、現にそのように歩んでいますが、どうか、その歩みを今後も更に続けてください。
 4:2 わたしたちが主イエスによってどのように命令したか、あなたがたはよく知っているはずです。
 4:3 実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。すなわち、みだらな行いを避け、
 4:4 おのおの汚れのない心と尊敬の念をもって妻と生活するように学ばねばならず、
 4:5 神を知らない異邦人のように情欲におぼれてはならないのです。
 4:6 このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしてはいけません。わたしたちが以前にも告げ、また厳しく戒めておいたように、主はこれらすべてのことについて罰をお与えになるからです。
 4:7 神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです。
 4:8 ですから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、御自分の聖霊をあなたがたの内に与えてくださる神を拒むことになるのです。

 

 

近年、今ある現実とは異なる選択をしていた時にもたらされるであろう別の現実の可能性について「世界線」といった言葉で表現されることがある。

時にそれは、過去の選択についても「もし、あの時、別の選択をしていれば、今とは全く異なる人生になっていたかもしれない」などと、空想や幻想を抱くことにもなりがちではあるが、実際には起こらなかったことであるし、別の世界線なるものは本当は存在しない。

人は自分が選んだことによってもたらされる現実の中で生きているのである。

時に、聖書における神様は、私たちに対して、神のみ旨に従っていきた場合と、そうではない場合の、二つの人生があるかのように語られるが、それは、あくまで、将来のことについて語られるものであり、いかなる選択をして、自分の人生をどう生きていくかということは、今の自分たちの選択によって、いかようにも変わっていくものであるし、神のみ言葉に従えば祝福、背けばそれに応じた結果がもたらされることを承知の上で、「あなたはどう生きるのか?」と問うておられるのであろう。

神様としては、当然、我々に祝福を選び取ってほしいとねがっておられるはずである。

ただそれは、強制的、選択不可能な不自由なものとして提供されているのではない。

あくまで自由と尊厳が与えられる中で、あえて、神の用意されている祝福された世界線を選んでほしいのだ。

未来は何も決まっていない。

今日をどう生きるか。

あえて呪いを招くようなことを選ぶ必要はないだろう。

私は神様の用意された祝福と幸いを選んで生きていこう。