エレミヤ18章1~11節、詩篇119篇161~168節、マタイ11章20~24節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ 18:1 主からエレミヤに臨んだ言葉。
 18:2 「立って、陶工の家に下って行け。そこでわたしの言葉をあなたに聞かせよう。」
 18:3 わたしは陶工の家に下って行った。彼はろくろを使って仕事をしていた。
 18:4 陶工は粘土で一つの器を作っても、気に入らなければ自分の手で壊し、それを作り直すのであった。
 18:5 そのとき主の言葉がわたしに臨んだ。
 18:6 「イスラエルの家よ、この陶工がしたように、わたしもお前たちに対してなしえないと言うのか、と主は言われる。見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、イスラエルの家よ、お前たちはわたしの手の中にある。
 18:7 あるとき、わたしは一つの民や王国を断罪して、抜き、壊し、滅ぼすが、
 18:8 もし、断罪したその民が、悪を悔いるならば、わたしはその民に災いをくだそうとしたことを思いとどまる。
 18:9 またあるときは、一つの民や王国を建て、また植えると約束するが、
 18:10 わたしの目に悪とされることを行い、わたしの声に聞き従わないなら、彼らに幸いを与えようとしたことを思い直す。」
 18:11 今、ユダの人々とエルサレムの住民に言うがよい。「主はこう言われる。見よ、わたしはお前たちに災いを備え、災いを計画している。お前たちは皆、悪の道から立ち帰り、お前たちの道と行いを正せ。」

詩篇 119:161 地位ある人々が理由もなく迫害しますが わたしの心が恐れるのはあなたの御言葉だけです。
 119:162 仰せを受けてわたしは喜びます 多くの戦利品を得たかのように。
 119:163 わたしは偽りを忌むべきこととして憎み あなたの律法を愛します。
 119:164 日に七たび、わたしはあなたを賛美します あなたの正しい裁きのゆえに。
 119:165 あなたの律法を愛する人には豊かな平和があり つまずかせるものはありません。
 119:166 主よ、わたしは御救いを仰いで待ち あなたの戒めを実行します。
 119:167 わたしの魂はあなたの定めを守り それをどこまでも愛します。
 119:168 あなたの定めと命令を守っています。わたしの道はすべて御前にあるとおりです。

マタイ 11:20 それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。
 11:21 「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。
 11:22 しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。
 11:23 また、カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。
 11:24 しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」

 

 

クリスチャンの方に、証しをお願いすると、決まって信仰に入るきっかけとなった出来事であったり、その時に思ったことなどを話して下さることが多い。

それはそれで感謝なことであるけれど、その先、何年も信仰者として生きてこられたのなら、今の自分の生きた証しがあっていいはずであるし、そっちの方がもっと大切なのではないかと思う。

悔改めもそう。

悔改めて神を信じる、ということは、人生において、たった一度限りの出来事でもあるまい。

何度でも、それこそ一日に何度でも、己の罪深さを思い知らされ、悔い改めて神にざんげし、赦しの言葉を頂く機会があっていいはずである。

かく言う私も、昨日、己の高慢さを思い知らされ、その日はずっとへこんでいたが、それでも赦され、生かされていることを思う時、感謝な気持ちを覚えることができる。

示された罪の内容を、ことさらに細かく馬鹿正直に他人に話す必要はないけれど、悔い改めさせられたこと、赦されたこと、そして、その上で生かされていることを証ししていけたら良いのではないだろうか。

イエス・キリストは、きのうも今日も、いつまでも生きておられるのだから。