ヨシュア記1章1~11節、詩篇105篇1~11,37~45節、1テサロニケ3章1~5節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨシュア記 1:1 主の僕モーセの死後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた。
 1:2 「わたしの僕モーセは死んだ。今、あなたはこの民すべてと共に立ってヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている土地に行きなさい。
 1:3 モーセに告げたとおり、わたしはあなたたちの足の裏が踏む所をすべてあなたたちに与える。
 1:4 荒れ野からレバノン山を越え、あの大河ユーフラテスまで、ヘト人の全地を含み、太陽の沈む大海に至るまでが、あなたたちの領土となる。
 1:5 一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。
 1:6 強く、雄々しくあれ。あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。
 1:7 ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。
 1:8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。
 1:9 わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」
 1:10 ヨシュアは民の役人たちに命じた。
 1:11 「宿営内を巡って民に命じ、こう言いなさい。おのおの食糧を用意せよ。あなたたちは、あと三日のうちに、このヨルダン川を渡る。あなたたちの神、主が得させようとしておられる土地に入り、それを得る。」

詩篇 105:1 主に感謝をささげて御名を呼べ。諸国の民に御業を示せ。
 105:2 主に向かって歌い、ほめ歌をうたい 驚くべき御業をことごとく歌え。
 105:3 聖なる御名を誇りとせよ。主を求める人よ、心に喜びを抱き
 105:4 主を、主の御力を尋ね求め 常に御顔を求めよ。
 105:5 主の成し遂げられた驚くべき御業と奇跡を 主の口から出る裁きを心に留めよ。
 105:6 主の僕アブラハムの子孫よ ヤコブの子ら、主に選ばれた人々よ。
 105:7 主はわたしたちの神 主の裁きは全地に及ぶ。
 105:8 主はとこしえに契約を御心に留められる 千代に及ぼすように命じられた御言葉を
 105:9 アブラハムと結ばれた契約 イサクに対する誓いを。
 105:10 主はそれをヤコブに対する掟とし イスラエルへのとこしえの契約として立て
 105:11 宣言された 「わたしはあなたにカナンの地を 嗣業として継がせよう」と。

 105:37 主は金銀を持たせて民を導き出された。どの部族にも、落伍する者はひとりもなかった。
 105:38 エジプトは恐怖に襲われていたから 彼らが出て行くのを喜んだ。
 105:39 主は雲を広げて覆いとし 火をもって夜を照らされた。
 105:40 民が求めると、主はうずらをもたらし 天のパンをもって彼らを満足させられた。
 105:41 主が岩を開かれると、水がほとばしり 大河となって、乾いた地を流れた。
 105:42 主は聖なる御言葉を御心に留め 僕アブラハムを御心に留められた。
 105:43 主は、御自分の民を喜びのうちに 選ばれた民を歓呼のうちに導き出された。
 105:44 主は彼らに諸国の土地を授け 多くの民の労苦の実りを継がせられた。

1テサロニケ 3:1 そこで、もはや我慢できず、わたしたちだけがアテネに残ることにし、
 3:2 わたしたちの兄弟で、キリストの福音のために働く神の協力者テモテをそちらに派遣しました。それは、あなたがたを励まして、信仰を強め、
 3:3 このような苦難に遭っていても、だれ一人動揺することのないようにするためでした。わたしたちが苦難を受けるように定められていることは、あなたがた自身がよく知っています。
 3:4 あなたがたのもとにいたとき、わたしたちがやがて苦難に遭うことを、何度も予告しましたが、あなたがたも知っているように、事実そのとおりになりました。
 3:5 そこで、わたしも、もはやじっとしていられなくなって、誘惑する者があなたがたを惑わし、わたしたちの労苦が無駄になってしまうのではないかという心配から、あなたがたの信仰の様子を知るために、テモテを派遣したのです。

 

 

 

旧約聖書を読むと、主なる神様がイスラエルの民を選び、彼らに約束の地を与えると語られていることが伺える。

しかし、イエス様が現れ、十字架の死と復活の御業を終えてから、弟子たちの宣教によって誕生した教会では、そういった土地への執着は見られない。

むしろ、どこにいようと、私たちの救いは完成しており、救われたものが招かれる天の都があることが宣べ伝えられていると言えるだろう。

 

そうした思想の転換点は、やはりイエス様の出現によると言えるだろう。

イエス様は、神の国は、ここにあるとか、あそこにあるとかいったものではなく、あなたがたのただなかにあると仰せられ、神の国というものが、地上の王国のようなものを指しているのではないことを教えられている。

 

ルカ17:20 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。
17:21 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」

 

ヨハネ14:1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。
14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
14:3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。

 

イエス様は、旧約聖書で預言されていたメシアであり、旧約聖書で語られていたことを実現されたお方であると思えば、このようなイエス様の言葉は、イスラエルに与えると約束された地が天の御国を指し示しているということが言えるだろう。

しかし、イエス様をまことのメシアだと受け入れなければ、当然、現実世界の土地に執着したまま、神の支配する地上の王国を求め続けることになるのだろう。

しかし、そこに永遠の御国は訪れない。

唯一、死を打ち破り、永遠の命を与えると約束されたイエス様だけがそれをもたらしてくださるのである。

地上の王国に執着し、絶え間のない争いを続けるのではなく、真の天の御国を仰ぎ見つつ、愛と平和に満ちた歩みを追い求めていきたいものである。