哀歌1章7~11節、詩篇50篇7~15節、2ペテロ2章17~22節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

哀歌 1:7 エルサレムは心に留める 貧しく放浪の旅に出た日を いにしえから彼女のものであった 宝物のすべてを。苦しめる者らの手に落ちた彼女の民を 助ける者はない。絶えゆくさまを見て、彼らは笑っている。
 1:8 エルサレムは罪に罪を重ね 笑いものになった。恥があばかれたので 重んじてくれた者にも軽んじられる。彼女は呻きつつ身を引く。
 1:9 衣の裾には汚れが付いている。彼女は行く末を心に留めなかったのだ。落ちぶれたさまは驚くばかり。慰める者はない。「御覧ください、主よ わたしの惨めさを、敵の驕りを。」
 1:10 宝物のすべてに敵は手を伸ばした。彼女は見た、異国の民が聖所を侵すのを。聖なる集会に連なることを 主に禁じられた者らが。
 1:11 彼女の民は皆、パンを求めて呻く。宝物を食べ物に換えて命をつなごうとする。「御覧ください、主よ わたしのむさぼるさまを見てください。」

詩篇 50:7 「わたしの民よ、聞け、わたしは語る。イスラエルよ、わたしはお前を告発する。わたしは神、わたしはお前の神。
 50:8 献げ物についてお前を責めはしない。お前の焼き尽くす献げ物は 常にわたしの前に置かれている。
 50:9 わたしはお前の家から雄牛を取らず 囲いの中から雄山羊を取ることもしない。
 50:10 森の生き物は、すべてわたしのもの 山々に群がる獣も、わたしのもの。
 50:11 山々の鳥をわたしはすべて知っている。獣はわたしの野に、わたしのもとにいる。
 50:12 たとえ飢えることがあろうとも お前に言いはしない。世界とそこに満ちているものは すべてわたしのものだ。
 50:13 わたしが雄牛の肉を食べ 雄山羊の血を飲むとでも言うのか。
 50:14 告白を神へのいけにえとしてささげ いと高き神に満願の献げ物をせよ。
 50:15 それから、わたしを呼ぶがよい。苦難の日、わたしはお前を救おう。そのことによって お前はわたしの栄光を輝かすであろう。」

2ペテロ 2:17 この者たちは、干上がった泉、嵐に吹き払われる霧であって、彼らには深い暗闇が用意されているのです。
 2:18 彼らは、無意味な大言壮語をします。また、迷いの生活からやっと抜け出て来た人たちを、肉の欲やみだらな楽しみで誘惑するのです。
 2:19 その人たちに自由を与えると約束しながら、自分自身は滅亡の奴隷です。人は、自分を打ち負かした者に服従するものです。
 2:20 わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知って世の汚れから逃れても、それに再び巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような者たちの後の状態は、前よりずっと悪くなります。
 2:21 義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる掟から離れ去るよりは、義の道を知らなかった方が、彼らのためによかったであろうに。
 2:22 ことわざに、「犬は、自分の吐いた物のところへ戻って来る」また、「豚は、体を洗って、また、泥の中を転げ回る」と言われているとおりのことが彼らの身に起こっているのです。

 

 

 

心が締め付けられるような御言葉である。

本当は分かっているはずなのに、救い主イエス様を信じていてもなお、罪の支配下に溺れたような人生を歩んでしまう。

どうしようもない生き物である。

しかし、それもまた現実なのだ。

主なる神様は、そのようなことは百も承知。

だからこそ、イエス様を十字架に送られたのである。

どんな生き方をするにせよ、そのことだけは忘れてはならない。

罪から完全に離れた清い生き方をすれば良いのだろうけど、人間なかなかそうはいかない。

けれど、神のものとされたことをわすれない、聖いものとして生きていけたらそれで良い。

何度も悔い改め、何度もイエス様の十字架のもとに立ち返る事。

それを大切にしていこう。