出エジプト記2章15~25節、詩篇23篇、1ペテロ2章9~12節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

出エジプト記 2:15 ファラオはこの事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、モーセはファラオの手を逃れてミディアン地方にたどりつき、とある井戸の傍らに腰を下ろした。
 2:16 さて、ミディアンの祭司に七人の娘がいた。彼女たちがそこへ来て水をくみ、水ぶねを満たし、父の羊の群れに飲ませようとしたところへ、
 2:17 羊飼いの男たちが来て、娘たちを追い払った。モーセは立ち上がって娘たちを救い、羊の群れに水を飲ませてやった。
 2:18 娘たちが父レウエルのところに帰ると、父は、「どうして今日はこんなに早く帰れたのか」と尋ねた。
 2:19 彼女たちは言った。「一人のエジプト人が羊飼いの男たちからわたしたちを助け出し、わたしたちのために水をくんで、羊に飲ませてくださいました。」
 2:20 父は娘たちに言った。「どこにおられるのだ、その方は。どうして、お前たちはその方をほうっておくのだ。呼びに行って、食事を差し上げなさい。」
 2:21 モーセがこの人のもとにとどまる決意をしたので、彼は自分の娘ツィポラをモーセと結婚させた。
 2:22 彼女は男の子を産み、モーセは彼をゲルショムと名付けた。彼が、「わたしは異国にいる寄留者(ゲール)だ」と言ったからである。
 2:23 それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。
 2:24 神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。
 2:25 神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。

詩篇 23:1  賛歌。ダビデの詩。 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
 23:2 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い
 23:3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。
 23:4 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。
 23:5 わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。
 23:6 命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。

1ペテロ 2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。
 2:10 あなたがたは、「かつては神の民ではなかったが、今は神の民であり、憐れみを受けなかったが、今は憐れみを受けている」のです。
 2:11 愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。
 2:12 また、異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。

 

 

先日、とある教会の指導者が、福音を聞かないまま亡くなった人たちに対して、死後にも福音を聞くチャンスがあるといったことを語ったとかで、問題になり、謝罪を強いられたといったニュースを見た。

なんとも言えない心がふさぐようなニュースである。

セカンドチャンスがないと主張するのもわかる。

そうでなければ、伝道すること自体に意味がなくなるわけで、それはそうであろうと。

しかし、伝道牧会の現場で苦しんでいる人なら、セカンドチャンスがあるかもしれないと言いたくなる気持ちもわかる。

それくらい、誰もが親しい人や家族が救われることを心から願い、祈り、悩んでいるのだから、そこに少しでも慰めや励ましを与えたいと思うのは当然であろう。

しかし、こういったニュースを聞くと、本当に嫌な気分になる。

どうしてもこうも義を主張することばかりで、それによって誰かを苦しめていることには平気でいられるのだろうか、と。

教会は、誰もが慰めを得られるところであって欲しい。

疲れた人が助けを求めて逃れてくる場所であって欲しい。

間違っても自分と考えが違う人を排斥し、自分の正しさだけを主張するような所であってほしくない。

そういうのは、ファリサイ人や律法学者たちで十分である。

 

マルコ2:16 ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
2:17 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」