ヨナ2章2~11節、詩篇114篇、マタイ12章38~42節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨナ 2:2 ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、
 2:3 言った。苦難の中で、わたしが叫ぶと 主は答えてくださった。陰府の底から、助けを求めると わたしの声を聞いてくださった。
 2:4 あなたは、わたしを深い海に投げ込まれた。潮の流れがわたしを巻き込み 波また波がわたしの上を越えて行く。
 2:5 わたしは思った あなたの御前から追放されたのだと。生きて再び聖なる神殿を見ることがあろうかと。
 2:6 大水がわたしを襲って喉に達する。深淵に呑み込まれ、水草が頭に絡みつく。
 2:7 わたしは山々の基まで、地の底まで沈み 地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。しかし、わが神、主よ あなたは命を 滅びの穴から引き上げてくださった。
 2:8 息絶えようとするとき わたしは主の御名を唱えた。わたしの祈りがあなたに届き 聖なる神殿に達した。
 2:9 偽りの神々に従う者たちが 忠節を捨て去ろうとも
 2:10 わたしは感謝の声をあげ いけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。
 2:11 主が命じられると、魚はヨナを陸地に吐き出した。

詩篇 114:1 イスラエルはエジプトを ヤコブの家は異なる言葉の民のもとを去り
 114:2 ユダは神の聖なるもの イスラエルは神が治められるものとなった。
 114:3 海は見て、逃げ去った。ヨルダンの流れは退いた。
 114:4 山々は雄羊のように 丘は群れの羊のように踊った。
 114:5 どうしたのか、海よ、逃げ去るとは ヨルダンの流れよ、退くとは
 114:6 山々よ、雄羊のように 丘よ、群れの羊のように踊るとは。
 114:7 地よ、身もだえせよ、主なる方の御前に ヤコブの神の御前に
 114:8 岩を水のみなぎるところとし 硬い岩を水の溢れる泉とする方の御前に。

マタイ 12:38 すると、何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。
 12:39 イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。
 12:40 つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。
 12:41 ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。
 12:42 また、南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。」

 

 

マタイ福音書の箇所では、イエス様が「ヨナのしるし」について語られている。

ヨナのしるしと言えば、大魚に飲み込まれたものの、奇跡的に吐き出されて助かり、その後、再びニネベの町へ宣教に向かったことが思い起こされる。

それはまさに、イエス様が死からよみがえり、復活されたことを想起させる「しるし」と言えるだろう。

しかし、ここでは「ニネベの人たち」や「南の国の女王」も取り上げられており、ヨナも含め、彼らに共通することは「み言葉を聞いて悔い改めた人たち」ということである。

そして、裁きの時には、彼らもまた、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、悔い改めない人たちを罪に定める、というのである。

つまり、神の言葉を聞いて悔い改めた者たちは、滅ぼされることはなく、終わりの時に神の救いの事を力強く証しする、ということなのだろう。

だから、神の言葉を聞き、己の罪を悔い改める者はみな、ヨナと同じように滅ぼされることはなく、終わりの時には必ず復活し、神の救いおn素晴らしさを証しする者としてその存在自体が用いられるのだろう。

ただ復活するというだけでなく、神様の素晴らしい救いの御業を証しするために用いられるのである。

なんと幸いなことだろう。