雅歌2章8~15節、詩篇16篇、コロサイ4章2~5節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

雅歌 2:8 恋しい人の声が聞こえます。山を越え、丘を跳んでやって来ます。
 2:9 恋しい人はかもしかのよう 若い雄鹿のようです。ごらんなさい、もう家の外に立って 窓からうかがい 格子の外からのぞいています。
 2:10 恋しい人は言います。「恋人よ、美しいひとよ さあ、立って出ておいで。
 2:11 ごらん、冬は去り、雨の季節は終った。
 2:12 花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。この里にも山鳩の声が聞こえる。
 2:13 いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。恋人よ、美しいひとよ さあ、立って出ておいで。
 2:14 岩の裂け目、崖の穴にひそむわたしの鳩よ 姿を見せ、声を聞かせておくれ。お前の声は快く、お前の姿は愛らしい。」
 2:15 狐たちをつかまえてください ぶどう畑を荒らす小狐を。わたしたちのぶどう畑は花盛りですから。

詩篇 16:1  ミクタム。ダビデの詩。 神よ、守ってください あなたを避けどころとするわたしを。
 16:2 主に申します。「あなたはわたしの主。あなたのほかにわたしの幸いはありません。」
 16:3 この地の聖なる人々 わたしの愛する尊い人々に申します。
 16:4 「ほかの神の後を追う者には苦しみが加わる。わたしは血を注ぐ彼らの祭りを行わず 彼らの神の名を唇に上らせません。」
 16:5 主はわたしに与えられた分、わたしの杯。主はわたしの運命を支える方。
 16:6 測り縄は麗しい地を示し わたしは輝かしい嗣業を受けました。
 16:7 わたしは主をたたえます。主はわたしの思いを励まし わたしの心を夜ごと諭してくださいます。
 16:8 わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし わたしは揺らぐことがありません。
 16:9 わたしの心は喜び、魂は躍ります。からだは安心して憩います。
 16:10 あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず
 16:11 命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い 右の御手から永遠の喜びをいただきます。

コロサイ 4:2 目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。
 4:3 同時にわたしたちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。このために、わたしは牢につながれています。
 4:4 わたしがしかるべく語って、この計画を明らかにできるように祈ってください。
 4:5 時をよく用い、外部の人に対して賢くふるまいなさい。

 

 

 

神が実際に存在し、その方が私たちを愛し、祝福しようとして下さるかどうかということは、人間なら誰もが願う事ではないだろうか。

ただ、それを確認する手段はなく、ただ、信じることだけしかない。

しかし、聖書に語られている約束は、私たちに大きな慰めと励ましを与えて下さるものと言えよう。

まず、神は私たちが生きるように、この世界を創造された。

この世界に存在する全てのものは、私たちが生きるために必要なものとして神が与えて下さっている。

そして、神は御子イエス様をこの世界に人としてお遣わしになられた。

私たちを救うため、私たちの身代わりとして罪を償うために自らの命を犠牲として捧げるためである。

イエス様は確かに一人の人間としてわたしたち生きる世界にこられ、そして、十字架で死なれた後、よみがえられ、復活された新しい命を約束して下さった。

その命は、もはや永遠に滅びることがないものである。

そのような永遠の命を私たちにも与えて下さると言う。

つまり、私たちの存在は永遠に失われないということである。

このような救いの約束が語られているからこそ、私たちは安心して神を信じ、神にお委ねしていくことができるのである。

御自分の命を犠牲にしてでも、私たちにまことの命と平安を与えて下さる神の救いの約束に信頼し、喜んで生きる者とならせていただきたいものである。