イザヤ49章1~7節、詩篇71篇1~14節、1コリント1章18~31節、ヨハネ12章20~36節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 49:1 島々よ、わたしに聞け 遠い国々よ、耳を傾けよ。主は母の胎にあるわたしを呼び 母の腹にあるわたしの名を呼ばれた。
 49:2 わたしの口を鋭い剣として御手の陰に置き わたしを尖らせた矢として矢筒の中に隠して
 49:3 わたしに言われた あなたはわたしの僕、イスラエル あなたによってわたしの輝きは現れる、と。
 49:4 わたしは思った わたしはいたずらに骨折り うつろに、空しく、力を使い果たした、と。しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり 働きに報いてくださるのもわたしの神である。
 49:5 主の御目にわたしは重んじられている。わたしの神こそ、わたしの力。今や、主は言われる。ヤコブを御もとに立ち帰らせ イスラエルを集めるために 母の胎にあったわたしを 御自分の僕として形づくられた主は
 49:6 こう言われる。わたしはあなたを僕として ヤコブの諸部族を立ち上がらせ イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。だがそれにもまして わたしはあなたを国々の光とし わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。
 49:7 イスラエルを贖う聖なる神、主は 人に侮られ、国々に忌むべき者とされ 支配者らの僕とされた者に向かって、言われる。王たちは見て立ち上がり、君侯はひれ伏す。真実にいますイスラエルの聖なる神、主が あなたを選ばれたのを見て。

詩篇 71:1 主よ、御もとに身を寄せます。とこしえに恥に落とすことなく
 71:2 恵みの御業によって助け、逃れさせてください。あなたの耳をわたしに傾け、お救いください。
 71:3 常に身を避けるための住まい、岩となり わたしを救おうと定めてください。あなたはわたしの大岩、わたしの砦。
 71:4 わたしの神よ、あなたに逆らう者の手から 悪事を働く者、不法を働く者の手から わたしを逃れさせてください。
 71:5 主よ、あなたはわたしの希望。主よ、わたしは若いときからあなたに依り頼み
 71:6 母の胎にあるときから あなたに依りすがって来ました。あなたは母の腹から わたしを取り上げてくださいました。わたしは常にあなたを賛美します。
 71:7 多くの人はわたしに驚きます。あなたはわたしの避けどころ、わたしの砦。
 71:8 わたしの口は賛美に満ち 絶えることなくあなたの輝きをたたえます。
 71:9 老いの日にも見放さず わたしに力が尽きても捨て去らないでください。
 71:10 敵がわたしのことを話し合い わたしの命をうかがう者が共に謀り
 71:11 言っています 「神が彼を捨て去ったら、追い詰めて捕えよう。彼を助ける者はもういない」と。
 71:12 神よ、わたしを遠く離れないでください。わたしの神よ、今すぐわたしをお助けください。
 71:13 わたしの魂に敵対する者が 恥に落とされ、滅ぼされますように。わたしが災いに遭うことを求める者が 嘲りと辱めに包まれますように。
 71:14 わたしは常に待ち望み 繰り返し、あなたを賛美します。

1コリント 1:18 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。
 1:19 それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」
 1:20 知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。
 1:21 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。
 1:22 ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、
 1:23 わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、
 1:24 ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。
 1:25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
 1:26 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。
 1:27 ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。
 1:28 また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。
 1:29 それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。
 1:30 神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。
 1:31 「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

ヨハネ 12:20 さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。
 12:21 彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。
 12:22 フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。
 12:23 イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。
 12:24 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
 12:25 自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。
 12:26 わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」
 12:27 「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。
 12:28 父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」
 12:29 そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。
 12:30 イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。
 12:31 今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。
 12:32 わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」
 12:33 イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。
 12:34 すると、群衆は言葉を返した。「わたしたちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられると聞いていました。それなのに、人の子は上げられなければならない、とどうして言われるのですか。その『人の子』とはだれのことですか。」
 12:35 イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。
 12:36 光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」

 

 

明日から4月、新しい年度を迎える。

新生活を迎える人たちにとっては、期待と不安に胸を膨らませ、きっと喜ばしい季節なのだろう。

しかし、一方で、辛い経験をしている人達も大勢いることだろう。

とくに、受験などで思うような結果にならず、絶望的な気持ちになっている人もいることと思う。

たまたま上手くいかなかっただけの人もあるだろうけれども、上手くいった人たちと比べて、もはや自分には生きている価値などないのではないかと思ってしまうこともあるかもしれない。

けれど、一人一人の命は、神が創られ、神によって生かされている尊いものである。

何ができるからとか、誰が優れているとか、そんなことは本来、比べて優劣をつけるようなものではない。

神様は、一人一人を愛しておられる。

命をかけても良い程に愛しぬいて下さっている。

昨年、受験に失敗し、辛い経験をした青年がいる。

この一年は本当に闇の中にいるような感じだっただろう。

でも、あさってには晴れて念願の大学生となる。

おめでとう。

そして、幸いな人生を歩んで欲しい。

これからもきっといろんなことが起きるだろうけど、神様に愛されていることを忘れずに、本当に幸いな人生を歩んで行って欲しい。

これからの人生を歩んでいく若人たちに幸あれ。