エゼキエル36章22~32節、詩篇128篇、ヨハネ7章53節~8章11節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エゼキエル 36:22 それゆえ、イスラエルの家に言いなさい。主なる神はこう言われる。イスラエルの家よ、わたしはお前たちのためではなく、お前たちが行った先の国々で汚したわが聖なる名のために行う。
 36:23 わたしは、お前たちが国々で汚したため、彼らの間で汚されたわが大いなる名を聖なるものとする。わたしが彼らの目の前で、お前たちを通して聖なるものとされるとき、諸国民は、わたしが主であることを知るようになる、と主なる神は言われる。
 36:24 わたしはお前たちを国々の間から取り、すべての地から集め、お前たちの土地に導き入れる。
 36:25 わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。
 36:26 わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。
 36:27 また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。
 36:28 お前たちは、わたしが先祖に与えた地に住むようになる。お前たちはわたしの民となりわたしはお前たちの神となる。
 36:29 わたしはお前たちを、すべての汚れから救う。わたしは穀物に呼びかけ、それを増やし、お前たちに飢えを送ることはしない。
 36:30 わたしが木の実と畑の作物を豊かにするので、二度と飢饉のために、国々の間で恥をこうむることはない。
 36:31 そのとき、お前たちは自分の悪い歩み、善くない行いを思い起こし、罪と忌まわしいことのゆえに、自分自身を嫌悪する。
 36:32 わたしがこれを行うのは、お前たちのためではないことを知れ、と主なる神は言われる。イスラエルの家よ、恥じるがよい。自分の歩みを恥ずかしく思え。

詩篇 128:1  都に上る歌。 いかに幸いなことか 主を畏れ、主の道に歩む人よ。
 128:2 あなたの手が労して得たものはすべて あなたの食べ物となる。あなたはいかに幸いなことか いかに恵まれていることか。
 128:3 妻は家の奥にいて、豊かな房をつけるぶどうの木。食卓を囲む子らは、オリーブの若木。
 128:4 見よ、主を畏れる人はこのように祝福される。
 128:5 シオンから 主があなたを祝福してくださるように。命のある限りエルサレムの繁栄を見
 128:6 多くの子や孫を見るように。イスラエルに平和。

ヨハネ 7:53 人々はおのおの家へ帰って行った。
 8:1 イエスはオリーブ山へ行かれた。
 8:2 朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
 8:3 そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、
 8:4 イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。
 8:5 こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」
 8:6 イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。
 8:7 しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
 8:8 そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
 8:9 これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。
 8:10 イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」
 8:11 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」

 

 

エゼキエル書36章に書かれていることは、非常に興味深い内容である。

神の裁きを受け、各地に散らされていたイスラエルの民は、やがて約束の地へと再び帰ることができるようになることが告げられているが、それらのことは、イスラエルの民が正しいことを行ったからではなく、むしろ、彼らが散らされていったところで汚した聖なる御名のためである、と言うのである。

人はみな常に自分が正しいと思っているし、時には、他者を攻撃してでも自分の立場を守ろうとさえする。

戦争などもそういった事によって発生するのだろう。

しかし、それらの行動に、何ひとつ大義などない。

むしろ、彼らの悪行が世にさらされるだけである。

戦争によって、確かに勝利者たちは権力や富を手中に収めるのかもしれないが、その後にもたらされるのは、彼らに対する嫌気であり、憎悪でしかない。

誰も勝利者たちを称えはしないだろう。

その時、一人でもいい、自分たちの過ちに気づく者がいれば、世界は少しずつでも変わっていくのかもしれないが、現実はなかなか難しい。

この世で勝利したものたちが、その行った悪行に気づき、真の悔い改めへと導かれてこそ、それからようやく神の御業が現わされていくのだろう。

自分はの考えが正しいと思い、自分は正しい行動を行ったと考える人、一人一人が自分の罪を悔改めて、己の愚かさを思い知る時、そこにも真実な神の御心が現わされていくことと覚えたい。