イザヤ 51:4 わたしの民よ、心してわたしに聞け。わたしの国よ、わたしに耳を向けよ。教えはわたしのもとから出る。わたしは瞬く間に わたしの裁きをすべての人の光として輝かす。
51:5 わたしの正義は近く、わたしの救いは現れ わたしの腕は諸国の民を裁く。島々はわたしに望みをおき わたしの腕を待ち望む。
51:6 天に向かって目を上げ 下に広がる地を見渡せ。天が煙のように消え、地が衣のように朽ち 地に住む者もまた、ぶよのように死に果てても わたしの救いはとこしえに続き わたしの恵みの業が絶えることはない。
51:7 わたしに聞け 正しさを知り、わたしの教えを心におく民よ。人に嘲られることを恐れるな。ののしられてもおののくな。
51:8 彼らはしみに食われる衣 虫に食い尽くされる羊毛にすぎない。わたしの恵みの業はとこしえに続き わたしの救いは代々に永らえる。
詩篇 121:1 都に上る歌。 目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。
121:2 わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。
121:3 どうか、主があなたを助けて 足がよろめかないようにし まどろむことなく見守ってくださるように。
121:4 見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。
121:5 主はあなたを見守る方 あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
121:6 昼、太陽はあなたを撃つことがなく 夜、月もあなたを撃つことがない。
121:7 主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り あなたの魂を見守ってくださるように。
121:8 あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。
ルカ 7:1 イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。
7:2 ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。
7:3 イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。
7:4 長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。
7:5 わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」
7:6 そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。
7:7 ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。
7:8 わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」
7:9 イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」
7:10 使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。
聖書を読む時、自分自身を登場人物に置き換えて読んでみることがある。
特にルカ7章の箇所で「わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」との百人隊長の言葉は、私自身にとって、目指すべき僕の生き方と思い、できるだけこの言葉を実践して行こうと長らく思っていた。
しかし、最近になって、自分の弱さを思い知らされ、自分にもできると思っていたことを打ちのめされる経験をし、このような生き方ができるためには、相当な心の強さを持っていなければならないということを教えられた。
思い上がっていたということであろう。
そして、そのような経験をして、改めてこの箇所を読んでみる。
するとどうだろう、自分は百人隊長ではなく、その部下の立場にあるのだということに気づかされる。
死にかけている。
それが今の自分であろう。
その後、この部下は、百人隊長のとりなしのおかげで、癒され、元気になっている。
もちろん、癒されたのはイエス様であるけれども、この百人隊長のとりなしがあったからこそ起きた奇跡であろう。
今にも死にかけているような自分自身を見つめながら、さて、誰が私のためにとりなしていてくれるのだろうかと考える。
家族であったり、いつも祈ってくれている仲間であったり、上司であったり。
お世話になっている人、助けてくれている人はたくさんいるではないか。
人は自分一人で生きているのではない。
まずはそのことに気がつけば、きっと、癒しや回復の道も開かれていくのだろうと思う。
もちろん、癒して下さるのはイエス様であるけれど。