列王記上19章9~18節、詩篇78篇17~20,52~55節、ローマ11章1~6節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

列王記上 19:9 エリヤはそこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。見よ、そのとき、主の言葉があった。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」
 19:10 エリヤは答えた。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」
 19:11 主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。
 19:12 地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。
 19:13 それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。そのとき、声はエリヤにこう告げた。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」
 19:14 エリヤは答えた。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」
 19:15 主はエリヤに言われた。「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。そこに着いたなら、ハザエルに油を注いで彼をアラムの王とせよ。
 19:16 ニムシの子イエフにも油を注いでイスラエルの王とせよ。またアベル・メホラのシャファトの子エリシャにも油を注ぎ、あなたに代わる預言者とせよ。
 19:17 ハザエルの剣を逃れた者をイエフが殺し、イエフの剣を逃れた者をエリシャが殺すであろう。
 19:18 しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」

詩篇 78:17 彼らは重ねて罪を犯し 砂漠でいと高き方に反抗した。
 78:18 心のうちに神を試み 欲望のままに食べ物を得ようとし
 78:19 神に対してつぶやいて言った。「荒れ野で食卓を整えることが 神にできるのだろうか。
 78:20 神が岩を打てば水がほとばしり出て 川となり、溢れ流れるが 民にパンを与えることができるだろうか 肉を用意することができるだろうか。」

 78:52 神は御自分の民を羊のように導き出し 荒れ野で家畜の群れのように導かれた。
 78:53 彼らは信頼して導かれ、恐れることはなかった。海が彼らの敵を覆った。
 78:54 神は彼らを御自分の聖地の境にまで導かれた。右の御手をもって得られたその山に。
 78:55 彼らの前から諸国の民を追い払い 彼らの嗣業を測り縄で定め イスラエルの諸部族を それぞれの天幕に住まわせられた。

ローマ 11:1 では、尋ねよう。神は御自分の民を退けられたのであろうか。決してそうではない。わたしもイスラエル人で、アブラハムの子孫であり、ベニヤミン族の者です。
 11:2 神は、前もって知っておられた御自分の民を退けたりなさいませんでした。それとも、エリヤについて聖書に何と書いてあるか、あなたがたは知らないのですか。彼は、イスラエルを神にこう訴えています。
 11:3 「主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇を壊しました。そして、わたしだけが残りましたが、彼らはわたしの命をねらっています。」
 11:4 しかし、神は彼に何と告げているか。「わたしは、バアルにひざまずかなかった七千人を自分のために残しておいた」と告げておられます。
 11:5 同じように、現に今も、恵みによって選ばれた者が残っています。
 11:6 もしそれが恵みによるとすれば、行いにはよりません。もしそうでなければ、恵みはもはや恵みではなくなります。

 

 

主なる神様は、神から心が離れてしまったイスラエルの民を見捨てることはなく、時には厳しい道を歩ませることがあったとしても、それは悔い改めて神に立ち返るために行われたものであると言えよう。

神は、常に人が神のもとに立ち返り、救いの恵みにあずかるように願っておられる。

そのような神の「人に救われて欲しい」との願いこそ、神の選びそのものなのであろう。

私たちの救いは、私たち人間の力によって成し遂げられるものではなく、神の恵みと憐れみによって成し遂げられたものであり、この恵みを信じて受け取るだけで私たちは救われるのである。

そのために捧げられた神の御子イエス様の尊い十字架の御業を覚え、畏れつつ、感謝の心をもって恵みを受け取るものとならせていただこう。