出エジプト記33章7~23節、詩篇78篇17~20,52~55節、使徒7章30~34節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

出エジプト記 33:7 モーセは一つの天幕を取って、宿営の外の、宿営から遠く離れた所に張り、それを臨在の幕屋と名付けた。主に伺いを立てる者はだれでも、宿営の外にある臨在の幕屋に行くのであった。
 33:8 モーセが幕屋に出て行くときには、民は全員起立し、自分の天幕の入り口に立って、モーセが幕屋に入ってしまうまで見送った。
 33:9 モーセが幕屋に入ると、雲の柱が降りて来て幕屋の入り口に立ち、主はモーセと語られた。
 33:10 雲の柱が幕屋の入り口に立つのを見ると、民は全員起立し、おのおの自分の天幕の入り口で礼拝した。
 33:11 主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。モーセは宿営に戻ったが、彼の従者である若者、ヌンの子ヨシュアは幕屋から離れなかった。
 33:12 モーセは主に言った。「あなたはわたしに、『この民を率いて上れ』と言われました。しかし、わたしと共に遣わされる者をお示しになりません。あなたは、また、『わたしはあなたを名指しで選んだ。わたしはあなたに好意を示す』と言われました。
 33:13 お願いです。もしあなたがわたしに御好意を示してくださるのでしたら、どうか今、あなたの道をお示しください。そうすれば、わたしはどのようにして、あなたがわたしに御好意を示してくださるか知りうるでしょう。どうか、この国民があなたの民であることも目にお留めください。」
 33:14 主が、「わたしが自ら同行し、あなたに安息を与えよう」と言われると、
 33:15 モーセは主に言った。「もし、あなた御自身が行ってくださらないのなら、わたしたちをここから上らせないでください。
 33:16 一体何によって、わたしとあなたの民に御好意を示してくださることが分かるでしょうか。あなたがわたしたちと共に行ってくださることによってではありませんか。そうすれば、わたしとあなたの民は、地上のすべての民と異なる特別なものとなるでしょう。」
 33:17 主はモーセに言われた。「わたしは、あなたのこの願いもかなえよう。わたしはあなたに好意を示し、あなたを名指しで選んだからである。」
 33:18 モーセが、「どうか、あなたの栄光をお示しください」と言うと、
 33:19 主は言われた。「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」
 33:20 また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」
 33:21 更に、主は言われた。「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。あなたはその岩のそばに立ちなさい。
 33:22 わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、わたしの手であなたを覆う。
 33:23 わたしが手を離すとき、あなたはわたしの後ろを見るが、わたしの顔は見えない。」

詩篇 78:17 彼らは重ねて罪を犯し 砂漠でいと高き方に反抗した。
 78:18 心のうちに神を試み 欲望のままに食べ物を得ようとし
 78:19 神に対してつぶやいて言った。「荒れ野で食卓を整えることが 神にできるのだろうか。
 78:20 神が岩を打てば水がほとばしり出て 川となり、溢れ流れるが 民にパンを与えることができるだろうか 肉を用意することができるだろうか。」

 78:52 神は御自分の民を羊のように導き出し 荒れ野で家畜の群れのように導かれた。
 78:53 彼らは信頼して導かれ、恐れることはなかった。海が彼らの敵を覆った。
 78:54 神は彼らを御自分の聖地の境にまで導かれた。右の御手をもって得られたその山に。
 78:55 彼らの前から諸国の民を追い払い 彼らの嗣業を測り縄で定め イスラエルの諸部族を それぞれの天幕に住まわせられた。

使徒 7:30 四十年たったとき、シナイ山に近い荒れ野において、柴の燃える炎の中で、天使がモーセの前に現れました。
 7:31 モーセは、この光景を見て驚きました。もっとよく見ようとして近づくと、主の声が聞こえました。
 7:32 『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』と。モーセは恐れおののいて、それ以上見ようとはしませんでした。
 7:33 そのとき、主はこう仰せになりました。『履物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる土地である。
 7:34 わたしは、エジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう。』

 

 

 

主なる神様は、モーセにご自身のお姿を現わされた。

人が顔と顔とを合わせるように、モーセに現れ、そして、イスラエルの民を救おうとされるご計画を告げられたのである。

電話や手紙、現代だとメールやSNSなど、お互いの思いを伝える手段はいろいろとあり、顔と顔とを合わせなくても、互いの交わりができてしまう。

けれど、人はやはり直接会って、お互いの顔を見て、時には手を取り合って、交流を深めていくことが大切であろう。

表情で気持ちが現れることもあるし、そもそもお互いの顔を見合うということは、そこに信頼関係がなければできないことであろう。

時には喧嘩をすることもあるかもしれない。

けれど、それだけ相手を信頼しているし、分かりあいたいからこそ、むきになってしまうのだろう。

顔と顔とを向き合わせて話し合えば、なんでも解決するというわけではないかもしれないけれど、愛と信頼をもって、顔と顔とを向き合わせ、人と向き合い、交流を深めていくことを大切にしていけば、人は人らしくいきることができるだろうし、なにより、きっと幸せになれるだろう。