創世記27章30~38節、詩篇40篇2~12節、使徒1章1~5節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 27:30 イサクがヤコブを祝福し終えて、ヤコブが父イサクの前から立ち去るとすぐ、兄エサウが狩りから帰って来た。
 27:31 彼もおいしい料理を作り、父のところへ持って来て言った。「わたしのお父さん。起きて、息子の獲物を食べてください。そして、あなた自身の祝福をわたしに与えてください。」
 27:32 父イサクが、「お前は誰なのか」と聞くと、「わたしです。あなたの息子、長男のエサウです」と答えが返ってきた。
 27:33 イサクは激しく体を震わせて言った。「では、あれは、一体誰だったのだ。さっき獲物を取ってわたしのところに持って来たのは。実は、お前が来る前にわたしはみんな食べて、彼を祝福してしまった。だから、彼が祝福されたものになっている。」
 27:34 エサウはこの父の言葉を聞くと、悲痛な叫びをあげて激しく泣き、父に向かって言った。「わたしのお父さん。わたしも、このわたしも祝福してください。」
 27:35 イサクは言った。「お前の弟が来て策略を使い、お前の祝福を奪ってしまった。」
 27:36 エサウは叫んだ。「彼をヤコブとは、よくも名付けたものだ。これで二度も、わたしの足を引っ張り(アーカブ)欺いた。あのときはわたしの長子の権利を奪い、今度はわたしの祝福を奪ってしまった。」エサウは続けて言った。「お父さんは、わたしのために祝福を残しておいてくれなかったのですか。」
 27:37 イサクはエサウに答えた。「既にわたしは、彼をお前の主人とし、親族をすべて彼の僕とし、穀物もぶどう酒も彼のものにしてしまった。わたしの子よ。今となっては、お前のために何をしてやれようか。」
 27:38 エサウは父に叫んだ。「わたしのお父さん。祝福はたった一つしかないのですか。わたしも、このわたしも祝福してください、わたしのお父さん。」エサウは声をあげて泣いた。

詩篇 40:2 主にのみ、わたしは望みをおいていた。主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった。
 40:3 滅びの穴、泥沼からわたしを引き上げ わたしの足を岩の上に立たせ しっかりと歩ませ
 40:4 わたしの口に新しい歌を わたしたちの神への賛美を授けてくださった。人はこぞって主を仰ぎ見 主を畏れ敬い、主に依り頼む。
 40:5 いかに幸いなことか、主に信頼をおく人 ラハブを信ずる者にくみせず 欺きの教えに従わない人は。
 40:6 わたしの神、主よ あなたは多くの不思議な業を成し遂げられます。あなたに並ぶものはありません。わたしたちに対する数知れない御計らいを わたしは語り伝えて行きます。
 40:7 あなたはいけにえも、穀物の供え物も望まず 焼き尽くす供え物も 罪の代償の供え物も求めず ただ、わたしの耳を開いてくださいました。
 40:8 そこでわたしは申します。御覧ください、わたしは来ております。わたしのことは 巻物に記されております。
 40:9 わたしの神よ、御旨を行うことをわたしは望み あなたの教えを胸に刻み
 40:10 大いなる集会で正しく良い知らせを伝え 決して唇を閉じません。主よ、あなたはそれをご存じです。
 40:11 恵みの御業を心に秘めておくことなく 大いなる集会であなたの真実と救いを語り 慈しみとまことを隠さずに語りました。
 40:12 主よ、あなたも憐れみの心を閉ざすことなく 慈しみとまことによって いつもわたしをお守りください。

使徒 1:1 -2テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。
 1:3 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。
 1:4 そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。
 1:5 ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」

 

 

ヤコブは、本来なら兄エサウが引き継ぐはずの長男としての権利を横取りしてしまうのであるが、それに怒ったエサウは、ヤコブのことをその名の通り「足を引っ張るもの」と言って、ののしっている。

「足を引っ張る」というのは、他人の邪魔をしたり、他人を出し抜いて自分だけが得をしようとする行為を表すもので、まさnヤコブが行った事は、他人の足を引っ張る行為であると言えよう。

しかし、そのような事は誰もがやっていることではないだろうか。

ともすれば自分のほうが少しでも前に一歩でも進もうとして、他人の足を引っ張り、しかも、みんながそれをするから、足の引っ張り合いになってしまう、醜い競争社会ができあがってしまうのだ。

足を引っ張られたエサウもまた、それに対して怒り狂い、ヤコブの命をも狙おうとしてしまう。

まるで人間の世界の縮図を見ているようである。

これはエサウとヤコブだけの話ではない。

私たち自身も普通にやっていることなのだ。

そのことに気がつかずにいるならば、イエス様の十字架は見えてこないし、必要とは思えないのだろう。

他人の足を引っ張り合う世界に、祝福された未来など訪れるはずがない。

一刻も早くその過ちに気づき、主なる神の御前に悔い改め、赦しの約束を頂いて、平安のうちに歩むものとならせていただきたいものである。