創世記28章10~22節、詩篇72篇、ヘブル11章13~22節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 28:10 ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。
 28:11 とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。
 28:12 すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。
 28:13 見よ、主が傍らに立って言われた。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。
 28:14 あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。
 28:15 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」
 28:16 ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」
 28:17 そして、恐れおののいて言った。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」
 28:18 ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油を注いで、
 28:19 その場所をベテル(神の家)と名付けた。ちなみに、その町の名はかつてルズと呼ばれていた。
 28:20 ヤコブはまた、誓願を立てて言った。「神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、
 28:21 無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、
 28:22 わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。」

詩篇 72:1  ソロモンの詩。 神よ、あなたによる裁きを、王に あなたによる恵みの御業を、王の子に お授けください。
 72:2 王が正しくあなたの民の訴えを取り上げ あなたの貧しい人々を裁きますように。
 72:3 山々が民に平和をもたらし 丘が恵みをもたらしますように。
 72:4 王が民を、この貧しい人々を治め 乏しい人の子らを救い 虐げる者を砕きますように。
 72:5 王が太陽と共に永らえ 月のある限り、代々に永らえますように。
 72:6 王が牧場に降る雨となり 地を潤す豊かな雨となりますように。
 72:7 生涯、神に従う者として栄え 月の失われるときまでも 豊かな平和に恵まれますように。
 72:8 王が海から海まで 大河から地の果てまで、支配しますように。
 72:9 砂漠に住む者が彼の前に身を屈め 敵が塵をなめますように。
 72:10 タルシシュや島々の王が献げ物を シェバやセバの王が貢ぎ物を納めますように。
 72:11 すべての王が彼の前にひれ伏し すべての国が彼に仕えますように。
 72:12 王が助けを求めて叫ぶ乏しい人を 助けるものもない貧しい人を救いますように。
 72:13 弱い人、乏しい人を憐れみ 乏しい人の命を救い
 72:14 不法に虐げる者から彼らの命を贖いますように。王の目に彼らの血が貴いものとされますように。
 72:15 王が命を得ますように。彼にシェバの黄金がささげられますように。彼のために人々が常に祈り 絶え間なく彼を祝福しますように。
 72:16 この地には、一面に麦が育ち 山々の頂にまで波打ち その実りはレバノンのように豊かで 町には人が地の青草ほどにも茂りますように。
 72:17 王の名がとこしえに続き 太陽のある限り、その名が栄えますように。国々の民は皆、彼によって祝福を受け 彼を幸いな人と呼びますように。
 72:18 主なる神をたたえよ イスラエルの神 ただひとり驚くべき御業を行う方を。
 72:19 栄光に輝く御名をとこしえにたたえよ 栄光は全地を満たす。アーメン、アーメン。
 72:20 エッサイの子ダビデの祈りの終り。

ヘブル 11:13 この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。
 11:14 このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。
 11:15 もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。
 11:16 ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。
 11:17 信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。
 11:18 この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。
 11:19 アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。
 11:20 信仰によって、イサクは、将来のことについても、ヤコブとエサウのために祝福を祈りました。
 11:21 信仰によって、ヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの一人一人のために祝福を祈り、杖の先に寄りかかって神を礼拝しました。
 11:22 信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子らの脱出について語り、自分の遺骨について指示を与えました。

 

 

 

神様の祝福というのは、目に見える形で与えられるものばかりではない。

むしろ、永遠の命の約束のように、今は目に見えなくても、神を信じていれば必ず与えられる類のものであると言えよう。

同様に、私たちが戦うものもまた目に見えるものとは違うのではないだろうか。


エフェソ6:12 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。

 

私たちを滅ぼそうとするものは、他国の民族でも、価値観の違う人たちでもない。

むしろ、滅びをもたらす原因は、案外、自分の心の内にあるものであり、私たち自身の内にある罪の問題を解決していくことが重要なのではないだろうか。

そこが解決していけば、敵だと思っていたものが実は本当の敵ではなく、逆に愛すべき対象であることを知ることになるかもしれない、過酷な状況の中に生きていると思っていても、実はそこにも神がおられ、祝福された人生を歩んでいる事に気がつくのかもしれない。

主なる神様は、イエス様のご生涯を通して、私たちに救いの約束を語られている。

この約束に信頼していくことが大切であろう。

目に見えることに囚われ過ぎないで、目に見えない神様の祝福の約束に心を留めて歩んでいきたいものである。